第109章 光秀の閨房指南ー其の弐
「隠してません!」
疑わしげな表情で顔を覗き込んでくる信長様に対して、慌てて否定の言葉を口にする。
「ふーん?」
(うっ…絶対疑われてるよね、これ。別に隠すわけじゃないけど…信長様を喜ばせたくて光秀さんから閨事の指南を受けました、なんて言ったら絶対ややこしいことになるに決まってる。そもそも結局は上手くできなかったし…)
「…まぁ、よい。昨夜は俺も楽しませてもらったしな。珍しい異国の美酒に濃密で麗しい香りを漂わせる香油、大胆に己を求めてくれる美しい妻…と、全くもって予想を裏切られた楽しき一夜であった」
「えっ…信長様っ…?」
冗談とも本気とも区別が付かぬような言い様に驚きながら信長様の表情を窺うと、何とも楽しそうなお顔であった。
口の端に悪戯っぽい笑みを浮かべ、私の頭を優しく撫でてくれる。
キラキラと煌めく朝日が射す中で見る満ち足りたようなその笑顔は私だけに見せてくれる尊いもののように思えた。
(本当に…喜んで下さったの?お世辞でも冗談でもなく楽しかったと言って下さるの…?)
「信長様、あの、私…」
「まぁ、これを貴様に使えなかったのは些か心残りではあるがな」
私の言葉を遮るようにして悪戯っぽく言うと、信長様は枕元の棚から香油の小瓶を取り上げて軽く揺すってみる。
チラリと私の方へ意味深な流し目を送り、恭しく小瓶の蓋を取ってから更に中身を揺らす。頭の中に昨夜嗅いだ記憶が微かに残っていた甘い花の香りがふわりと鼻腔を擽った。
「えっ、あっ、それ…あの、使うって…?」
(昨日一緒に香りを楽しんだよね?や、やっぱりそれだけじゃダメなの?)
「貴様、本当に知らぬのか?ならば教えてやらねばな…これの使い道を。手取り足取り、丁寧にな」
「け、結構です!」
「つれないことを言うな。何事も二人で楽しまねば意味がないだろう?俺にとっては貴様とともに過ごす時が何よりの喜びなのだ」
「っ…信長様…」
信長様の思わぬ本音を聞いたような気がして胸の奥がじんわりと暖かくなる。
(私、信長様を喜ばせることばかりに必死になり過ぎて大事なことを忘れてたのかもしれない。特別なことや希少な品などなくても二人で過ごせるささやかな時間さえあれば、信長様にとっても私にとってもそれが本当の幸せなのかもしれない)