第109章 光秀の閨房指南ー其の弐
「貴様は…飲まんのか?」
酒が注がれた高杯を手にした信長は、少し気まずそうに朱里に問うた。
夜の寝かしつけの時だけとはいえ、未だ吉法師に乳を与えている朱里は身籠ってから今日まで酒を口にすることはなかった。
珍しき異国の酒を愛しき者と共に味わえぬのは何とも味気ない気がして、飲まぬとは分かっていても問わずにはおられなかった。
「あ、えっ…と、そうですね、お酒は…」
吉法師のために酒を口にせぬことは周知のことなので飲まないのかと信長から改めて聞かれるとは思っておらず、戸惑ってしまってすぐに返答できなかった。
ハッとして信長の顔を見ると、気のせいかも知れないが何となく寂しげな表情をされているような気がして無下に断るのも気が引けてしまった。
それに本音を言えば、自分で作った酒ながら上手くできたなと思っていたので味見をしてみたい気持ちもあったのだ。
「………あ、あの、じゃあ、私も少しだけ頂いてもいいですか?」
「……いいのか?」
自分で言っておきながら、朱里がまさか同意してくれるとは思わなかったので予想外に嬉しそうな声が出てしまい、自分でも驚いた。
「少しぐらいならいいかな、と。どんな味がするのかと、実は私も興味があったので。今、吉法師にお乳をあげているのは夜だけですし、数日間はお乳なしで寝かしつけできるように頑張ってみます!本当ならもうそろそろ乳離れさせないといけないんですけど…」
「そうか…ならば今宵は久しぶりに息抜きして楽しめばよい。俺にとっても、一人で飲む酒より貴様とともに飲む酒の方が美味いからな」
「信長様…」
サラリと嬉しい台詞を言ってくれたことにジンっと胸を打たれている間にも信長様は飾り棚から高杯をもう一つ取って来て私のために酒を注いでくれる。そんなさり気ない気遣いが嬉しくて、信長様への想いは益々深まるばかりだった。
(二人でお酒を酌み交わす…こんな時間、久しぶりだな。何だかまた私の方が幸せを貰っちゃった気もするけど…少しぐらいは甘えてもいいかな)
子供達と過ごす家族の時間も楽しくて幸せな時間だが、こうして夫婦二人だけで過ごせる時間はやはり何にも代え難い貴重な時間だった。