第109章 光秀の閨房指南ー其の弐
「っ…まさか、び…」
「残念ながら媚薬ではない…まぁ、それに近いものではあるが…」
最後の方は朱里には聞き取れないであろうぐらいの小声で囁くように言いながら、傍らにあった文机の上に小瓶をそっと置いた。
「これは西洋の花から精製した香油だ。南蛮人は香りの強い白い花だと言っていたな。髪や肌につけると香りが際立ち、様々な効果があるそうだ」
「香油…それって香水みたいなものですか?光秀さんは異国の品にも詳しいからご存知かもしれないですけど、香水っていう西洋の液体の香を私、信長様にいただいたことがあるのです。日ノ本の香とはまた違う華やかな香りがするんですよ」
「香水か…似ているが少し違うな。香水は合成の香料だが、香油は天然の草木や花からのみ抽出した天然由来の精油だ」
「う…何だか難しいですね。私には違いがよく分かりません」
「香りを楽しむという点では、香水も香油も日ノ本の香もまた似たようなものかも知れんがな」
「なるほど、それはそうかもしれませんね。良い香りは気持ちを落ち着かせてくれますし、異国の香りを嗅ぐと不思議と自分が実際に異国にいるような華やいだ気分になります。香りの効果って奥が深いですね」
文机の上に置かれた陶器の小瓶からは、その中身がどんな色でどんな香りがするのかは窺い知れず、それがまたひどく興味を誘うのだった。
(異国の花から作られた香油って…それはどのような花かしら?日ノ本では見られない花?どんな香りがするのだろう?あぁ…早く知りたいな)
先程まで警戒心たっぷりで及び腰だったのが嘘のように、今は目の前の未知の香りに興味を惹かれていた。
わざわざにこれを届けに来てくれた光秀の意図を疑うこともなく、この新しい異国の品を早く試してみたくてうずうずしてしまう。
そんな朱里のどこか落ち着かない浮き足だった様子をチラリと目線の端に納めた光秀は、してやったり、と心中密かにほくそ笑んでいた。
(新しく物珍しいものに対して抵抗なく好奇心を露わにできる朱里の無邪気さは御館様と相通じるものがあるな。あんなにも媚薬に警戒を見せておきながら、これを疑わぬとは…くくっ…やはりこの姫は面白い。あの御館様が何年経っても変わらずご寵愛なさるのも道理か…)