第109章 光秀の閨房指南ー其の弐
恋仲から夫婦になり、それなりに年月が経つが、信長の全てを知り尽くしているかと問われれば即答できない。彼の人(かのひと)は何年経っても意外な一面を見せてくれる人で、まだまだ私の知らない顔を持っているような気もするのだ。反対に私の全てをご存じではあろうが…
「まぁ、御館様のお望みほど分かりやすいものはないと俺は思うがな」
「ええっ、そうなんですか??嘘っ、いくら考えても私にはこれっていう決め手がなかったのに…光秀さんには分かるんですか?何?何ですか?どうして分かるんですか?」
やはり信長様の左腕たる光秀さんには何もかもお見通し、妻である私では太刀打ち出来ないのかと半ば愕然としながらも、何としても信長様の望みを聞き出したい私は畳み掛けるように問い掛けた。
「そう鼻息荒く興奮するな。やれやれ、小娘は奥方様になっても中身は少しも変わっていないようだ」
「うっ……」
あからさまに進歩がないと言われたようで、ぐうの音も出ない。
反論の言葉も出ず、ジトっと恨めしげな目線を返す私を見た光秀さんの唇が更に意地悪そうに弧を描く。
「おやおや、そんな目で見つめられては困るな」
「意地悪しないで教えて下さい、光秀さん」
「何だ、本当に分からないのか?いやはや、身近にあるほど人は気付かぬものだな」
至極気の毒そうに言われてしまい何とも情けないが、そう言われても分からないものは分からないのだ。
「もぅ、光秀さん!」
「くくっ…少し揶揄い過ぎたか?そう怒るな。お前の純粋な心根は尊ぶべき美徳だが、些か真っ直ぐ過ぎる。今やこの世の全てを手中に納められたと言っても過言ではない御館様が望むものなど…一つしかないのではないか?」
金色に妖しくも煌めく眸を眇めて、光秀さんがじっと見つめる先は……
「………えっ、私?」
疑わしげに問い返した私に、光秀さんは当然と言わんばかりに口元を緩めてみせた。
「いやいや、だからそういうんじゃなくて…私が知りたいのは、そういう望みじゃないんです。んもぅ!光秀さん、揶揄わないで下さいよ!私は真剣に悩んでるんですから…」
「心外だな、俺は至って真面目に言っているのだが。御館様が望めば、日ノ本の全てのものが手に入る。果ては遠く異国のものもまた然りだ。そんな御館様が執着なさる唯一のものが…お前だ、朱里」
「で、でも…私はもう信長様のものですよ?」