第22章 心の棘
その日の夜
私は人目を憚りながら天主へと続く廊下を進む。
「今宵は大事な話がある故、夜は天主に来るように」
昼間逢いにきてくださった信長様は、少し憂いを帯びた悩ましげな表情をなさっていた。
いつも余裕の信長様には珍しい。
「信長様?」
襖をそっと開いて声をかけると、信長様は欄干にもたれて月を眺めておられた。
月明かりに照らされた端正な横顔は、ずっと見つめていたいと思えるほどに美しい。
「来たか、朱里」
信長様は私に歩み寄ると、あっと思う間もなく、その腕の中に私を閉じ込めた。
「……ずっとこうしたかった。
貴様を抱けぬ日々は俺にとって耐え難い苦痛だった。
今宵は離さぬ………」
信長様の体温を直に感じて、ここ数日抑えてきた恋情が一気に膨れ上がり、このまま身を委ねてしまいたい思いに駆られるが、
「っ、信長様……大事なお話があったのでは?」
「………そうだったな。
貴様に話しておかねばならないことがある」
身体を離し、じっと私を見つめる深紅の瞳は、欲を孕んで艶を帯びており、私の心と身体を疼かせる。
「……急だが、近々上洛することになった。
貴様を置いて行くのは偲びないが……
待っていてくれるな?」
(これまで待っていてくれるか、などと聞いたことはなかったが……聞かずには居られん。なぜだか今聞いておかねば、俺の前から朱里がいなくなってしまうような気がして仕方がない……)
「……ご上洛ですか。
京で何か良くないことが起きたのですか??」
「実は…年始の折に朝廷より任官の打診があった。
その返答を催促されていてな…上洛して直接返事をしろ、と言ってきている。
まぁ、官位など受ける気はないがな」
(っ、よかった、戦ごとではないのね…)
上洛の途上で危険はあるかもしれないが、戦ほどの心配はなさそうで、ひとまず安堵する。
「……ご上洛の目的は、官位の件だけですか?」
「ん?」
「……あっ、いえ、昼間お逢いした時、随分とお悩みのご様子でしたので……。
官位の件の他にも何か難題がお有りなのかと……」
(くっ、俺としたことが顔に出ていたか…。
縁談の件は朱里に悟られてはならん…余計な心配をさせるだけだ)