第108章 離れていても
信長が朱里の何気ない一言に、らしくもなく動揺を見せてしまったのは京での独り寝の夜を思い出してしまったからだった。
独り寝の寂しさから朱里を想い、己の欲を自身の手で慰めた夜。
快楽に溺れ、我を忘れるほど朱里を欲した夜であったが、思い返してみれば虚しくて何とも後味の悪いものだった。
(情欲に流されて、己の欲を一人で慰めたなどと、みっともなくて言えん。朱里には情けない男だと思われたくはない。隠し事はせぬとの約束だが、このような情けない姿を朱里には絶対に知られるわけにはいかない…絶対にだ)
不自然に黙り込んでしまった信長を見て朱里は急に不安になる。悩ましげに眉間に皺を寄せて考え込んでしまうような問いかけをしたつもりはなかったのだが…どうにもいつもの信長らしくない。
「あの、信長様?まだお疲れなのでは?京ではやはりあまり眠れなかったんじゃ…」
「っ…馬鹿を言うな。眠れたに決まっておろうが。貴様がおらずとも朝までぐっすりだったわ!」
「ええっ…」
(普段から眠りの浅い信長様が朝までぐっすりだなんておかしい。何か私に隠していらっしゃるんじゃ…?)
明らかにムキになっているとしか思えないような信長の口調に困惑を隠せない。自分もまた秘め事を持つ身であるにも関わらず、人の秘め事は気になって仕方がないとは、何とも都合がいい話ではあるのだが、気になるものは気になるのだ。
「あの、何か私に隠し事とか…?」
「ない。俺が貴様に隠し事などするわけがなかろうが。全く…何故にこんな話になったのか…」
「えっ、そんな…の、信長様のせいですよ?一人でもよく眠れていたか?なんて変なこと、私に聞くからですよ!」
「は?それのどこが変なのだ。俺は貴様の身を案じただけだぞ。妙な想像をした貴様が悪い」
「妙な想像って…うぅ、もぅ、いいですよ!何を想像したかは信長様には秘密です。絶対に言いませんから」
「なっ…ならば俺も秘密だ。貴様には口が裂けても言わん」
「なっ……」
やはり何か秘め事があるのかとお互いに思いながら、二人はキッと睨み合う。本気の睨み合いではない、こんなやりとりをどこか愉しむような雰囲気の中で視線を絡ませ合う二人は、至極楽しげであった。
「っ…ふふ……」
「くっ…くくくっ…」