第108章 離れていても
思いがけず感じられた早春の気配に心がほっこりと暖かくなりながら、墨の色も鮮やかな美しく流麗な文字へと目を落とした。
『朱里へ
思いがけず長く留守にすることとなったが、変わりはないか?
京の都は雪に閉ざされ、身動きもままならぬ。街道が通れるようになるまでは今暫く時を要することになるだろう。
この文を書いている今も、外では相変わらず雪が降り続いている。
生まれ日を共に過ごそうと約束をしたのに、図らずも守れなくなり心苦しい限りだ。
朱里、離れていても思うのは貴様のことばかりだ。
京と大坂がこれほど遠く感じたことはない。貴様に触れられぬ日々は、時の流れが途方もなく長く感じる。
貴様を求める渇望にこの身は焼かれ、灰になるやも知れぬなどという愚かしいことを考えるぐらいに今、貴様が足りん。
朱里、愛している。戻ったら思う存分愛でてやるから覚悟しておけ。
生まれ日を共に祝うことは叶わぬが、京の地にあっても貴様を大切に思うこの気持ちが変わらぬことを伝えたい。
生まれ日の酉の刻、天主から京の方角の空を見よ。
細やかだが貴様への祝いを贈る』
「っ…信長様…」
愛情溢れる言葉の数々に胸の内がキュンっと甘く疼く。逢えない淋しさを感じているのは自分だけではなかったのだと思うと、嬉しさに心が打ち震えた。
(信長様…私も貴方に逢えない日々に淋しくて胸が張り裂けそうになっています。早く貴方に抱き締めて欲しい。その逞しい腕の中に飛び込みたい。そんなことばかり考えて…毎夜恋しさに身を焼かれる思いなのです)
感極まったように瞳を潤ませて文を大事そうに胸元に抱き締める朱里の様子を密かに窺っていた秀吉は、小さく安堵の吐息を溢す。
信長が上洛してからというもの不安げな様子で淋しそうにしている朱里が気懸りでならなかった。傍目には淋しさを隠し、いつも以上に気丈に振る舞っているようだったが、昔から朱里を妹のように大事に見守ってきた秀吉には無理をしているのが明らかだった。
(お戻りは今少し先になりそうだが、御館様からの文は朱里の心の支えになるだろう。あんなに幸せそうな顔して…見てるこっちまで顔が緩んじまうな)