第108章 離れていても
嬉しさからか緊張からか、差し出された文を受け取る手が少し震えてしまう。
(信長様から文をもらうなんて久しぶりだから、何だか変に緊張してしまうな)
遠方への視察時や戦の陣中などから時折文をもらうこともあるが、最近はそういったことも少なく、信長様からの文は久しぶりだったのだ。
表書きを外し、ドキドキと高鳴る胸の音を感じながら神妙な面持ちで文を開こうとして、不意に手元に集まる視線を感じてチラリと目線を上げた。
「……ん?」
見回せば、結華も吉法師も完全に食事の手が止まっていて、興味津々といった表情で私の手元をじーっと見つめている。更には秀吉さんまでが一瞬でも見逃すまいといった真剣過ぎる表情で、子供達と一緒になって手紙を注視しているのだった。
「っ…あの、三人とも見過ぎでしょ…そんなに注目されると読みづらいんですけど…っ、ふふっ…」
三人の真剣過ぎる表情に呆れてしまい、逆に緊張が和らいだようで自然と笑みが溢れた。
「す、すまん、つい…な。じゃあ俺は横向いとく」
コホンっと一つ咳払いして気不味そうに目線を逸らした秀吉さんがギクシャクと横を向くのが益々可笑しい。
「結華、吉法師、あなた達はご飯の続きを食べなさい。冷めてしまいますよ?」
手が止まっている子供達に食事の続きを促すと、二人とも不満そうな顔をして口を尖らせる。その様子がピタリと揃っていて、あぁ姉弟なんだなぁと微笑ましく思った。
渋々ながら箸を動かし始めた二人をそっと見守り、改めて信長様からの文を手にする。
上質な手触りの和紙は流水紋の透かしが入った上品なもので、そおっと開くとふわりと柔らかな香りが鼻腔を擽った。
文には香が焚き染めてあるらしく、顔を近づけるとほんのりと甘く爽やかな花の香りがした。
(これは…梅の香りかしら。甘酸っぱい…春の香りだわ)
涼やかな甘い香りに、小さくて可憐な花の姿が思い浮かぶ。
ここ大坂城でもまだ梅は咲いていなかった。
真っ白な雪に覆われた庭の木々の間で、暖かな春の訪れを今か今かと待つように小さな蕾が芽吹いていたのを思い出す。
梅は寒ければ寒いほど色濃く強い香りを放つように感じられ、厳しく寒い冬を越えていち早く咲く梅の花は春の喜びをより一層感じることができる花であった。
春の訪れを思わせる梅の香が焚き染められた文に、信長らしい細やかな気遣いが感じられた。