第108章 離れていても
朱里は今頃どうしているだろう。夜も更けて眠りについているであろう刻限ではあるが、きちんと眠れているだろうか。一人寂しく眠れぬ夜を過ごしているのではないだろうかと気掛かりでならない。
上洛の日、城門前で見送ってくれた朱里は信長を心配させまいとしたのか、いつもより気丈に振る舞い、寂しそうな顔は一切見せなかった。
『生まれ日を共に祝おう』と言った信長の言葉には遠慮を見せつつも喜んでくれているように見受けられたが、祝いに京の土産を何でも買って来てやると言っても何を強請るわけでもなく、いつものように遠慮がちに微笑むばかりだった。
朱里のそういう控えめで遠慮がちな性格は好ましいとは思うが、本音を言えば自分にだけはもっと甘えて欲しかった。
欲深くもっと自分を求めて欲しい、淋しい時は淋しいと素直に自分を頼って欲しいと信長自身は常日頃からそう思っているのだが、朱里はいつも自分のことは二の次で信長のために負担にならぬようにと気遣いばかりする女だった。
数日離れているだけでも恋しく、欲に身を焦がし、思うままにならぬもどかしさに悶える自分とは違い、純粋無垢で貞淑な朱里はそんな風に欲に駆られることなどないのだろうとは思いながらも、自分と同じように欲に身を焦がしていて欲しいなどと愚かしくも望んでしまう。
(逢いたい。朱里、貴様を早くこの腕に抱きたい。貴様のことになると俺は際限なく欲が深くなる。貴様はどうなのだろう…今この時、離れていても俺を求めてくれているだろうか)
信長は気怠い身体を褥の上に投げ出して、それ以上の思考を閉ざすかのようにそっと目を閉じた。
目を閉じても眠れぬことは分かっていた。眠れれば夢の中で逢えるかもしれないのに、と馬鹿げた世迷いごとを考える。夢などという不確かなものを頼るなど、全く自分らしくない。
それでも目を閉じれば朱里の愛らしい笑顔が目蓋の裏に浮かぶ気がして、夜闇の中へと身を委ねる。
あと何度眠れぬ夜を過ごせば、朱里をこの腕に抱くことが叶うのだろう…などと、らしくもなく感傷的な気分になりながら、信長は朝が来るまでの長き時の流れを今宵もまた一人で過ごさなくてはならなかった。