第108章 離れていても
「おはようございます、御館様。降って参りましたな」
暫くの間、舞い落ちる雪を眺めていた信長だったが、音もなく近付く男の気配に鷹揚に振り向いた。
「光秀か…やはり京は大坂よりも冷える。酷く積もらねばよいがな」
もう一度気遣わしげに曇り空を見上げると、信長は室内へと足を向ける。外に出ていたのはそれ程長い時間ではなかったが、着物の上に羽織一枚羽織っただけの身体は手足の先まですっかり冷え切っていた。
外ほどではなくとも室内も寒かろうと覚悟して部屋へ入ると、意外にも少し暖かかった。
「光秀、これは貴様が?」
「はっ、今朝は格別冷えておりましたので…寺の者に命じて用意を」
部屋の中にはいつの間にか火鉢が置かれていた。パチリパチリと小さく炭が爆ぜる音が聞こえる。
「相変わらず気回しの良いことだな」
「恐れ入ります」
信長が火鉢の前に腰を下ろすと、光秀もまた障子を閉めて室内へと戻って来て、少し離れた下座へと控えた。
冷たくなった手を火鉢にかざすと、じんわりとした暖かさが指先から広がっていく。熱された木炭がぼぉっとほの赤くなっている様子は、見ているだけでも何とも言えない温かみを感じた。
この時代、冬場の寒さは非常に厳しいものであったが、暖を取る方法といえばこのような火鉢や炬燵、囲炉裏といったものしかなく、着物を重ねたり厚手の羽織を羽織ったりして寒さをしのぐ他なかった。
「この分ですと大坂も降っておるやも知れませぬな。姫様方がはしゃぐお姿が目に浮かぶようで…」
ニヤリと意味深な笑みを浮かべる光秀に、信長もまた愉快そうに口の端を上げて答える。
「子供らには良い退屈しのぎになるかもしれんな。貴様の言う『姫様方』というのが誰を含めて言うておるのか知らんが」
「小娘はいくつになっても無邪気な姫様…と、これは少々軽口が過ぎましたかな…ご無礼を」
「ふっ…貴様の軽口はいつものことであろうが。まぁ、あやつのことだ、雪ともなれば子供顔負けではしゃいでおるに違いあるまい」
(子供のように雪遊びなどして、風邪など引いておらねばよいが…)
寒さが苦手なくせに雪が降れば子供のように外に出たがる朱里のことが急に心配になる。
離れてまだ数日だというのに、今何をしておるのかと気になって仕方がなかった。