第108章 離れていても
京へ入った信長は、此度の宿所とした本能寺に腰を落ち着けていた。
「やはり降ってきたな」
庭に面した廊下の端に立ち、どんよりと暗い薄曇りの空を見上げていた信長は、ひらりひらりと舞い落ち始めた白い華を見て独り言ちた。
足元からぞわりと這い上がってくる身を切るような寒さに、思わずふぅっと息を吐くと目の前が白く烟る。
そのまま冷んやりと冷えた朝の空気を吸い込むと、身の内が引き締まり、思考がキリリと研ぎ澄まされていくような感じがした。
寺の者どものように朝の勤めなどをするわけではないが、常のように夜が明け切らぬ早い時刻に目が覚めた信長は一人、廊下に出て庭を眺めていたのだった。
昨夜からの冷え込みは京の町に雪をもたらしたようだ。
庭の木々に次々と舞い落ちる白い華は、今はまだ落ちてはすぐに消えているが、降り落ちる早さは次第に早くなっており、信長が見るともなく見ているうちにも地面はうっすらと白くなり始めていた。
この分だとあっという間に降り積もり、京の町は一面雪に覆われるかもしれない。
(厄介なことだ。雪など何の益にもならん)
汚れなき白銀の世界も信長にとってはさしたる感慨をもたらすものではなかった。
雪が降り積もれば人や物の往来にも影響し、流通の遅れは領民達の暮らしにも支障をきたす。更には雪が降るほどの厳しい寒さともなれば、貧しい村では寒さと飢えに苦しみ、凍え死にする者も少なくはなかった。
織田の領地はさほどに雪深い土地ではなかったが、それでも一たび大雪に見舞われれば民達が難儀するのは目に見えていた。
(すぐに止めばよいが、降り続くと面倒事が増えるな。雪が降って喜ぶのは子供ぐらいのものだ)
無邪気な子供達は寒さを物ともせずに雪遊びに興じることだろう。
信長もまた幼き頃には雪が降れば真っ先に城外へ飛び出していき、悪ガキどもと一緒になって雪合戦だ何だと時を忘れて暴れ回ったものだが、大人になれば様々に考えることも多くなり、純粋に遊びを楽しむというわけにはいかなくなる。
(この分だと大坂も降っているだろう。あやつらの喜ぶ顔を見られぬのは残念だな)
降り積もる雪を見て歓声を上げる妻と子の何とも可愛らしい姿が目に浮かび、厳しい寒さの中でも信長の表情は穏やかに緩んでいた。