第108章 離れていても
(………って、結局何が信長様のご機嫌を損ねちゃったのか聞けず仕舞いのまま…行ってしまわれたんだよね)
庭先から遠く京の方角を見つめながら、はぁ、と小さく溜め息を吐く。白い息がふわりと浮かび上がり、外の寒さが一層際立った。
遠く山の方の空は薄暗く曇っているようだ。もしかすると山の向こうは雪が降っているのかもしれない。
年が明けてから急に冷え込みが厳しくなったようで、思いがけぬ寒さにふるりと身が震え、身体がきゅっと縮こまった。
「うぅっ、寒っ…今日は特に冷えるなぁ」
「おう、そんなとこにいると風邪引くぞ、朱里。早く中、入れよ」
「あ、秀吉さん」
いつの間に来ていたのか、秀吉さんに後ろから声をかけられて振り向くと、春の陽射しみたいに穏やかな顔に迎えられる。
「この寒さだと京は降ってるかもな」
秀吉さんもまた、白く烟った京の方角を心配そうに見つめながら言う。
京は地形的に東、北、西の三方を山に囲まれた盆地ということもあり、冬は底冷えがするほど寒く、雪も降りやすい土地柄だという。
いかに近いとはいえ、ひと度雪が降り積もれば街道が閉ざされて京と大坂の行き来も難しくなるのだった。
「秀吉さん、信長様たち、大丈夫かな?」
「ん?」
「ここ数日で急に寒くなったでしょ?お風邪など召されてないといいんだけど…」
「そうだな。御館様は京でのご滞在には慣れておられるから大丈夫だとは思うが、身の回りのお世話を光秀がするっていうのがなぁ…何と言うか非常に不安だ。くそ、俺がお供したかった…」
心底口惜しそうに唇を噛む秀吉さんに悪いとは思いながらも、微笑ましくて自然と口元が緩んでしまう。
信長様が上洛の供に光秀さんを選ぶことが多いのは、光秀さんが京の事情に精通していて公家衆との交渉事にも適任だという理由もあるが、留守を託せる者はやはり信頼している秀吉さんを置いて他にはないからなのだと思うのだ。
(私も秀吉さんがいてくれると何かと心強い。お城に信長様がいらっしゃらないのは寂しいけど、こうして秀吉さんが何かと気遣ってくれるから…)
信長様が出立されてから、秀吉さんは時間を見つけてはこうして私の様子を見に来てくれていた。
秀吉さんと一緒にお茶を飲みながら他愛ない話をしたりすることで、信長様不在の寂しさは随分と癒されていたのだった。