第107章 嫉妬は甘い蜜の味
「……さま?信長さま?…あの、起きて下さい、信長様…」
「……んっ…」
名を呼ばれ、緩々と身体を揺さぶられる感覚に信長の意識はゆっくりと浮上する。
射し込む光の眩しさに瞼がピクリと震えたが、信長はぼんやりとした思考のまま寝台の上に横になっていた。
(ん…今は…朝…か?)
「信長様?あの、本当にそろそろ起きて下さらないと、お支度の時間が…」
肩口にそっと触れる柔らかな手の感触にハッとして目を開けると、困ったように眉尻を下げた愛しい妻の顔が間近にあった。
「っ…朱里…?」
寝起きの思いのほか掠れた声が出て戸惑う。それ程に長く眠っていたのだろうか。
「おはようございます。よくお休みでしたね。信長様が元日の朝にこんなに寝過ごされるなんて珍しいこともあるものですね」
朱里は楽しげにふふっと小さく笑い声を上げて、信長の顔を覗き込む。
「っ…今、何刻だ?もう日は昇ったのか?」
「はい。今年は初日の出、見逃しちゃいましたね」
毎年、元日の朝は天主の廻縁に出て二人で朝日が昇るのを見るのがここ数年の決まり事のようになっていた。
冬の早朝の澄んだ空気の中、朝日がゆっくりと昇りながら城下を照らし出す様は格別に美しく、前夜の情事の気怠さをそのままにうっとりと朝焼けに見惚れる艶めかしい朱里の横顔を堪能するのが信長の密かな楽しみでもあった。
(いつもなら俺が先に起きて、夢現の朱里を抱き上げて廻縁に出るのだが…昨夜は随分と深く眠ったようだ。朱里に起こされるまで目が醒めんとは…しかもあんな夢まで見るなどと…)
元々が眠りの浅い信長は、夢を見ることは滅多になかった。
朱里と出逢い、身も心も満つるまで愛を交わし、寄り添って眠る穏やかな夜が訪れるまでは夢を見ることもなかったし、夢というものがどういうものなのかも知らなかった。
日頃から過去を振り返ることなどしない信長が昔の夢を見るなど考えられないことであり、改めて思い返してみても我ながら不思議な夢だった。
「信長様?どうかなさいましたか?」
寝台の上に半身を起こしたまま動こうとしない信長に、朱里は心配そうに声を掛ける。
起きたばかりでまだぼんやりなさっているのかと思いながらも、何事か思慮するように遠い目をして口を閉ざす信長の様子に、何となくいつもとは違う雰囲気を感じたのだった。