第107章 嫉妬は甘い蜜の味
その後、気まずさを胸の奥に秘めつつも信長は予期せず訪れた家族水入らずの時間に身を置くことになったのだった。
「兄上、勘十郎はずっとこんな風に兄上と話がしたいと思っておりました。兄上とは幼き頃から離れて暮らしておりましたゆえ」
「そうか…」
勘十郎に仕える家臣達は、信長を疎ましく思い、勘十郎から遠ざけようとする節があった。それ故に、同じ母から生まれた兄弟であっても幼き頃から二人の間には埋まらぬ隔たりがあり、腹を割って語り合うようなことはなかった。結果的に最期まで互いに理解し合えぬまま、家督を狙い謀叛を企てた勘十郎を信長は討つしかなかったのだ。
相手を殺さねば己に待つのは死のみ。ならば殺すしかない。
例えそれが血を分けた弟であったとしても命を奪わねばならなかった。くだらぬ争いを終わらせ、己が信じる道を行くために……
だから後悔はしていない。
弟の謀叛で混乱を極める尾張一国を纏めるため後悔などしている余裕はなかったし、そもそも命を奪っておいてそれを悔やむなど愚の骨頂だと思っていたからだ。
それでも今こうして向かい合ってみれば、弟が何を考え、何を思っていたのか、その心の内を知りたいと思った。
「兄上?どうかなさいましたか?」
「っ…いや…何でもない。……勘十郎は…俺のことをどう思っている?うつけだ阿呆だと、家臣達からはよからぬ噂ばかり聞いておろう?兄には織田家の世継ぎは務まらぬ、自分が跡目を継ぐべきだと…そう思っているのではないのか?」
「っ…そんな…私は…兄上のことをそんな風に思ったことはございません!兄上はいつだって私の思いも寄らぬことを成される。私には出来ぬことを易々と成し遂げてしまわれる。私は…悔しくて…兄上には及ばぬと…そう思うことばかりで…私が跡目を継ぐべきなどと滅相もないことです!」
「っ…勘十郎っ…」
心の内を吐き出すように真剣な表情で語る勘十郎の言葉には、偽りの色は見えなかった。それは真実、心からの言葉として信長の胸の奥に響いた。
(裏切りの心はなかった、野心など微塵もなかったと…それが勘十郎の真の心なのか…ならば我ら兄弟は一体どこで道を違えてしまったのだろう)
弟の目は曇りなく真っ直ぐに自分を見つめてくる。
それを受け止めることが、今の信長には何とも息苦しくて堪らなかった。