第107章 嫉妬は甘い蜜の味
深い溜め息を吐いて立ち上がった信長は、ヒヤヒヤしながら見守っていた朱里の手から壺を取り上げる。
「これは俺が運んでやるから、此奴を抱いてやれ」
無造作にクイっと顎で吉法師を指し示す信長だったが、機嫌はさほど悪くはなさそうだった。
「いいんですか?ありがとうございます、信長様。吉法師、おいで」
「はは!」
両手を広げてみせると、吉法師は嬉しそうに顔を綻ばせて広げた腕の中に飛び込んできた。
愛らしいその姿にキュンと胸を撃ち抜かれた心地になり、ぎゅうっと強く腕の中に閉じ込めてから抱き上げた。
「全く…困った奴だ。母は貴様一人のものではないのだぞ?分かっておるのか?ん?」
「やっ!」
揶揄い混じりの苦笑を浮かべつつ吉法師の頬を指でツンっと突いた信長に対して、吉法師は嫌そうに頬を膨らませて答える。
「むっ…」
「の、信長様…吉法師はまだ赤子ですから、色々とよく分かっていないのですよ、きっと。だから怒らないで下さいね。あの、その壺、運んで下さるのですか?それでしたら、大広間の方に…」
「あ、ああ……」
信長の機嫌が悪くなるのを避けるため、話題を変えて壺を運んでもらうことにした。
(信長様に運んでもらうなんて申し訳ない気もするけど、吉法師の抱っこのお願いを聞いてあげられてよかった)
花を生けた壺は大広間に飾る予定であったので、吉法師を抱いたまま連れ立って大広間までの廊下を歩く。
ここ数日は新年を迎える準備などで互いに忙しく、こうして昼間に二人だけで話をする機会が取れていなかったので、大広間までの僅かな時間であっても私は嬉しかった。
「まだやらねばならぬ事は残っているのか?」
「いいえ、もう大方済みましたよ。信長様の方はまだお忙しいですか?」
「いや、俺の方も片付いた。後の細々したことは秀吉が上手くやるだろう。今年の俺の仕事はもう終いだ」
「ふふ…お疲れ様でした。それじゃあ、夜までゆっくりなさって下さいね。後で天主にお茶をお持ちします」
明日からの三が日も例年通り家臣達や傘下の大名達との謁見が予定されており、毎年のことではあるが正月といっても信長様がゆっくり休まれることはないのだった。
それゆえに、年が明けるまでの僅かな時間でも信長様にはゆるりと過ごしていただきたかった。