第106章 収穫祭の長き夜
「き、吉法師…抱っこ?抱っこって言ったの?」
「んーっ!んっ…だ、だぁ!」
吉法師の初めての言葉らしきものに興奮してしまい、焼きかけの煎餅の存在もすっかり忘れて吉法師の方へ駆け寄る。
(厨担当の女中さんが機転を効かせてすぐに焼くのを代わってくれたので、幸いにも焼きかけの煎餅は無駄にならずに済んだ)
両手を広げて抱っこをせがむ可愛らしい姿にキュンとして、すぐさま抱き上げると、吉法師はキャッキャッと嬉しそうな声を上げる。
ここ数日、後追いが酷くて正直疲れていたのだが、吉法師の嬉しそうな顔を見れば、そんな疲れも吹き飛ぶぐらいに心の内が満たされていく。
少しずつ出来ることが増えていく我が子をすぐ傍で見守ることができる幸せに勝るものはなく、この子の母になれてよかったと改めて思えるのだった。
本音を言えば、四六時中赤子とべったりで自分の時間が取れないことに苛立ちを感じることもあったし、そんな風に感じる自分自身が身勝手に思えて嫌になることもあった。
母親ならば子供のことを一番に考えて当たり前だと言われるものなのに、私は自分のことばかり考えてしまうなんて…と自分を責めてもいた。
それでもやはり、こんな風に自分を無条件に必要としてくれる吉法師の姿を見れば、グッと胸の奥に迫るものがあった。
(こうして触れ合える時間は無限ではない。吉法師はこれからどんどん成長していくし、大きくなっていけばやがて私の手を必要としなくなる日も来るだろう。こうして甘えてくれる時期は案外あっという間に過ぎていくものなのかもしれない。それなら今は…この手で目一杯抱き締めよう。この子が私を必要としてくれるのなら…)
「吉法師っ…」
腕の中で満足そうに笑う吉法師をぎゅっと抱き締める。
収穫祭に向けて菓子作りも急がねばならなかったが、吉法師との時間も大事にしたかった。
(吉法師を抱っこしたままだと手が塞がっちゃうし、床に降ろして火に近付いたら危ないし…さて、どうしようかな)
好奇心旺盛で目に入る周りのものには何でも手を伸ばす時期の吉法師を様々な道具が溢れる厨の中で一人で座らせておくのは絶対に無理だし、乳母の抱っこではもう納得しないだろう。
「う〜ん、ずっと抱いてるわけにはいかないしなぁ…あっ、そうだ!」
抱っこが無理なら……