第105章 毒と薬は紙一重
「……朱里」
顔を覆って泣き声を堪えていると、不意に声を掛けられてビクリと身体が震えた。
「っ…あ…信長様…」
いつの間に来られていたのだろう、後ろを振り向くと気遣わしげな表情をした信長様が立っていた。
眠っている吉法師の方へチラリと視線をやってから、信長様は私の方へ向き合う。
(やっ…ダメ…涙、見られちゃう…)
「の、信長様…あの、これは…っ、んっ…」
言い訳を考えながら信長様の視線を避けるように顔を背けようとする私の顎を信長様の骨張った長い指先が捕らえる。
顎先を捕らえられてしまっては泣き顔を隠すこともできない。
「……泣いていたのか?」
「っ……」
「何故だ?よもや、吉法師の様子に何か障りがあったのか?」
「い、いえ…今のところは何も…よく眠っています」
「そうか…来るのが遅くなって悪かった。一人で心細かったであろう?」
朱里の目尻に溜まった雫を指先で拭いながら、信長は優しく慰めるように言う。
家康から事の次第を報告された後、すぐに朱里と吉法師の元へ向かうつもりであった信長だが、折悪しく朝廷からの使者との謁見の予定が控えており、すぐに動けなかった。
吉法師の様子は内心気掛かりではあったが、謁見に思った以上に時間がかかり、このような時間になってしまったのだ。
部屋に入ってすぐ、朱里が啜り泣く声が聞こえてドキッと心の臓が嫌な音を立てた。
さては吉法師によくない兆しかと柄にもなく動揺したが、吉法師は穏やかな寝息を立てて眠っており、見た感じでは異変はなさそうだった。
ならば何故、朱里は泣いていたのか…
目尻に溜まった雫を見た信長の胸がキリキリと苦い痛みを覚える。
「朱里…泣くな。貴様の涙は見たくない」
「っ…ご、ごめんなさい…私のせいで吉法師が…信長様っ、ごめんなさい…私っ…」
「貴様が謝ることではない。此度のことは貴様のせいでも家康のせいでもない。俺は誰を責めるつもりもないぞ」
「でも…私がもっと注意していれば、吉法師を危険な目に合わせなくて済んだのに…私が母親として不甲斐ないからこんなことに…」
「朱里っ…」
グイッと腕を引かれて胸元へ引き寄せられると、逞しい胸板に顔を埋めるようにして抱き締められる。
再び瞳から溢れかけた涙は、信長様の固い胸板に押し付けられて、流れ落ちることはなかった。
「んっ…信長様っ…」