第105章 毒と薬は紙一重
私に『拾わなくていい』と言った時の家康の少し厳しい顔が思い出される。
大事な薬草かもしれない。早く持って行ってあげないと困っているかもと、慌てて立ち上がりかけたその時……
ーガシャンッ!
「わっ、吉法師?」
玩具で機嫌よく遊んでいた吉法師はいつの間にか床の間の辺りにまで移動していて、飾ってあった花入を倒してしまったようだった。
花入は倒れ、溢れた水がじんわりと広がり、畳を濡らしている。
活けていた曼珠沙華は、吉法師の近くに散乱してしまっていた。
燃える火炎のような赤い華
美しくも妖しい魅力を持つこの華は信長様の気に入りでもあり、夏の終わりから初秋にかけてのこの時期には田の畦道などにもよく咲いていた。
曼珠沙華は見た目は華やかで美しいが、古来より毒性がある華だとも言われていて……
「っ…吉法師っ、ダメ!触っちゃ…」
吉法師は目の前に広がった赤い華に興味を惹かれたのか、ニコニコと笑いながら手を伸ばそうとしていた。
切り花にした花と茎に触れるだけなら害はないと分かってはいても、私は慌てて吉法師に駆け寄った。
曼珠沙華の毒は触れても大丈夫だが、口に入れば影響がある。
赤子というものは何でも口に入れてしまうものだから、戯れにでも触れさせるわけにはいかなかった。
曼珠沙華に小さな手が触れそうになった瞬間、間一髪のところで私は吉法師を抱き上げた。
「っ…ふぇ…ふっ…うっ、わぁーんっ…」
勢い良く抱き上げたからか、それとも私の焦りが伝わってしまったからか、吉法師は火が付いたように大声で泣き始めた。
腕の中で泣きながら嫌がって暴れるのを何とか宥めようとするも、制止されたのが余程気に入らなかったのか、なかなか落ち着いてくれない。
「吉法師、ごめんね。このお花は触っちゃダメだよ。見るだけにしようね」
「やっ、やあぁ…」
散らばった曼珠沙華から吉法師を遠避けるため、その場を離れようとすると、吉法師は更に激しく暴れ始める。
床の上の赤い華に向かって必死に手を伸ばす様子は真剣そのものだった。
一度気になると、なかなか諦めない…まだ赤子とはいえ吉法師は信長様に似て少し強情なところがあるようだ。
(赤子の時の信長様もこんな感じだったのかなぁ。癪の強い子供だったって義母上様が仰っていたけど…男の子はこれぐらい意志が強い方がいいのかしら?)