第105章 毒と薬は紙一重
朝餉の刻限もとうに過ぎているのかもしれないが、不思議とお腹は空いていなかった。
夢現の中で信長様に抱かれ、目覚めた今も身体中がその余韻で満ち溢れていて空腹を感じる隙間などなかったのかもしれない。
ぼんやりとした頭で部屋の中を見回していた朱里は、何かに思い至ったようにハッと息を飲む。
「吉法師っ…」
夫婦の寝台から少し離れた位置に置かれた、赤子用の高さのある小さな寝台。
信長が吉法師のために南蛮から取り寄せた西洋式の寝台は、動きが活発になってきた赤子が転落しないように高めの柵が付けられていた。
来月には一歳になる吉法師は、掴まり立ちなどもできるようになっていて、今まさに可愛い盛りである。
もう少し大きくなったら一人寝をさせねばならないが(信長様は早くももうそのつもりでいらっしゃるみたいだが…)、私は今はまだ、少しでも長く貴重な親子の時間を過ごしたかったのだ。
(私、こんなに寝過ごしちゃって、吉法師を放ったらかしに…)
慌てて寝台を降り、夜着の裾を乱しながら吉法師の元へ駆け寄った。
「…………あれ??」
寝台の中は空っぽだった。
眠っているとばかり思っていた吉法師の姿はなく、寝具にそっと触れてみたが既に冷たくなっていた。
(信長様が連れて行ったのかな?乳母のところ…?っ…私も早く支度して行かなくちゃ…)
日中は吉法師を人慣れさせるために乳母に預けることも多いが、朝晩は母として自分で見るようにしている。
信長様に目一杯愛されたことは嬉しかったが、それによって子の世話を疎かにしてしまったことにひどく罪悪感を感じ、吉法師を連れて行かれてしまったことが母親失格だと言われているようで何とも居た堪れなかった。