第104章 魅惑の果実
「……朱里?」
襖をゆっくりと開いた信長は、廻縁から射し込む月の光を見て目を細める。
足音を立てぬよう部屋へ入ったが、その場に朱里の姿は見えず、室内は伽羅の香の良い香りに包まれていた。
「朱里?」
もう一度呼びかけて廻縁へ足を向ける。
月の光が射し込む中、欄干に凭れて夜空を見上げる朱里はまさに天女のようだった。
白い夜着が月明かりの中でぼうっと浮かび上がり、透き通った羽衣のように見えた信長は思わず手を伸ばしていた。
「えっ…あっ…信長様…?」
三日月の美しさに見惚れていた朱里は、後ろから急に腕を引かれて抱き寄せられ、戸惑いの声を上げる。
「朱里っ…」
ぎゅうっと痛いぐらいに抱き締められる。
「っ…信長様?どうなさったのですか?あっ…やっ…んっ…」
有無を言わさぬ強さで抱き竦められ、身を捩る隙間すら与えられない。
呼びかけても答えはなく、ただ強く抱き締められるばかりだった。
「んっ…や、苦し…」
朱里の掠れた苦しそうな声に、信長はハッと我に返って腕の力を緩めた。
「んっ…はぁ…信長様…急にどうされたのですか?」
「別に…どうもせん。貴様の方こそ何をしていた?そのような格好で外へ出るなど…」
腕の中に閉じ込めたままの朱里の身体を、夜着の上から確かめるように撫でる。
「あ…月を見ていて…今夜は綺麗な三日月なんですよ!星もたくさん見えてて私、つい見惚れてしまって…お戻りに気付かなくてごめんなさい」
「いや…遅くなって悪かった」
素っ気ない答えとは反対に、信長は朱里の身体を抱き締めたまま離そうとしない。
(月夜を見上げる姿が天界へ戻らんと願う天女のように見えて、思わず夢中で引き止めるなど…全く、どうかしている…自覚はないが、やはり少し疲れているのか…)
「…中へ入るぞ」
「あ、はい…っ、やっ…の、信長様!?」
信長は当然のように朱里をその場で抱き上げた。
柔らかな身体からは湯浴みの後の良い匂いがしていて、信長は首筋に顔を近づけると、鼻先を押し付けてすんっと匂いを嗅いだ。
「やぁ…やめ…匂い、嗅がないで下さ…い」
「んー?湯上がりのいい匂いだぞ。そういえば、部屋の中も良い香りがしていたな」
「は、はい…信長様のお好きな香を焚き染めました。お疲れが少しでも癒されるようにと思って」
「そうか…」