第104章 魅惑の果実
その夜、私は一人そわそわと落ち着かない気持ちで、天主で信長様の帰りを待っていた。
湯上がりの身体は火照ったままで、冷めるどころか益々熱くなってきていた。
(っ…身体、熱い。こんなに火照って…期待しすぎって呆れられたらどうしよう…)
火照った身体を夜着の上からぎゅっと抱き締める。
昼間、執務室で別れてから信長様とは会っていない。
あの後もやはりお忙しかったのだろう、夕餉の刻限になっても執務室からは出てこられなかった。
秀吉さんに様子を聞こうかとも思ったが、秀吉さんもまた忙しいのか、広間での夕餉の席には出てきていなかった。
『続きは今宵、閨で』
甘く囁かれた言葉は、本気か戯れか分からなかった。
それでも…いつもより念入りに湯浴みを済ませ、部屋には信長様のお好きな香を薫き染めた。
疲れた身体を少しでも癒して欲しくて…
けれど……
(遅いな、信長様。早く戻るって仰ったのに…やっぱりまだお忙しいのかな)
無理をなさっているのではないだろうか。
夕餉はちゃんと召し上がられたのだろうか。
やはり今宵も明け方まで戻られないのでは…
静かな部屋で一人でいると不安な気持ちが膨れ上がり、後ろ向きな考えばかりが頭の中を占めてしまう。
何となく息苦しさを感じて外の空気を吸いたくなり、障子を開けて廻縁へと出てみた。
漆黒の夜空には冴え冴えとした三日月が浮かんでいる。
生憎と風はなく外の空気も夏の暑さを含んでいて涼しくはなかったが、夜空に浮かぶ月と無数の星は神秘的だった。
もう少し近くで見たくなり、欄干に手を掛けて空を見上げた。
今宵は雲がないから星がよく見える。
近頃の自分は、ゆっくり星を見る心の余裕もなかったのだなと改めて気付かされた思いだった。
「はぁ…綺麗っ…」
夏の夜空の美しさに、時を忘れてしまいそうだった。
政務を終えた信長は、湯浴みを済ませ足早に天主へ向かっていた。
予想外に遅くなり、気持ちが急いて自然と階段を駆け上がる。
(朱里はまだ起きているだろうか…早く戻ると言っておきながら、結局また遅くなってしまったな…)
約束通り今宵は早く戻るつもりだったが、夕方になって急な知らせが届き、秀吉とともに対応にあたっているうちに思っていたよりも遅くなってしまったのだ。