第104章 魅惑の果実
「っ…もぅ…ダメっ!」
意を決して腕に精一杯の力を込め、政宗の胸を押し返す。
ひ弱な女の力では鍛えられた武将の強靭な身体はびくともしなかったが、強めの拒絶の言葉には反応してくれたようで、政宗はカラカラと快活に笑いながら僅かに身体を引いてくれた。
「ははっ、冗談だよ。そんな膨れっ面すんなって…お前はそういう顔も可愛いけどな。まぁ、それはさておき…ちょうど手に入ったコレ、食わせてやるから一緒に来いよ。信長様の話は食いながら聞かせろ」
政宗は楽しそうに笑いながら、手に持っていた籠の中を私に見せてくれた。
籠の中に入っていたのは……
「わぁ…これ、桃?こんなに沢山、どうしたの?」
政宗が籠の中を覆っていた手拭いを取ると、籠の中には沢山の桃が入っていた。
瑞々しく張りのある桃からは、切らずとも甘く芳醇な蜜の香りが広がっている。
淡く色付いた色合いと可愛らしい形に、思わず顔が綻んでしまう。
「たまたま用事があって城下に行ったら、桃売りの商人が来てたんだ。桃は今が旬だからな。皆にも食わせてやろうと思って買ってきた。よく熟れてて美味そうだろ?」
「ほんと、すごく良い香りがするね!」
「桃は冷やして食うと美味いから、今から冷やして夕餉の膳に出してやろうと思ってたんだが…お前には特別に一番に食わせてやる。ほら、厨に行くぞ」
政宗は返事を聞く前に私の手を取ってさっさと歩き出す。
鼻の奥に残った桃の甘い香りに酔ったように、私は政宗に手を引かれてふわふわした気持ちのままに厨へと歩いて行った。
厨に着くと、政宗は慣れた様子で桃を剥き始めた。
ちょうど昼餉の片付けも終わった時間帯だったからか、厨には人がおらず、私は政宗に言われるがままに座って待つことにする。
政宗の手によって綺麗に皮が剥かれた桃は、厨の中に甘やかな香りを放つ。
古来より大陸では、桃の木を仙木、果実を仙果と呼び、魔除けや不老不死の力があると考えられていたそうだ。
それゆえ、日ノ本でも桃の実は縁起が良い食べ物とされており、桃の種は煎じて薬にしたりもすると聞いたことがあった。
(桃って見た目も愛らしいし、甘くて美味しくて…本当に天上の食べ物って言ってもおかしくない感じだよね。あぁ…早く食べたい)
先程まで信長様のお身体の心配で揺れていた心は、勝手なもので今は目の前の甘い香りにすっかり囚われていた。