第103章 旅は道連れ
結局、尾張を出た慶次はどこかに仕官するわけでもなく、各地を転々としながら武芸を磨き、数年を過ごした。
その間に信長は美濃を取り、足利将軍を奉じて上洛を果たしていたが、未だ戦乱の世は続いていた。
(武功を上げて、もう一度織田へ帰参する。俺が仕えたいのは御館様だけだ)
戦に明け暮れる信長のもとへ慶次が帰参したのは、信長が安土に城を築いてしばらく経った頃だった。
許しもなく勝手に参陣し、敵の大将首を上げて本陣に赴いた慶次を、信長は驚くでもなく咎めるでもなかった。
常と変わらぬ落ち着いた様子で慶次を一瞥しただけで、その場では声も掛けられなかった。
帰参が許されぬのではと内心気が気ではなかったが、戦に勝利し安土へと戻る軍列に慶次は加わることができたのだった。
その後は、秀吉ら武将達とともに信長の傍近くに仕えるようになった慶次だったが……数年後、突然姿を消したのだ。
『またも御館様に追放された』『勝手に出奔した気紛れな男』と口々に噂され、安土は一時騒然となったが……実のところ、この出奔は信長の命令によるものだった。
勝手に帰参し、信長の傍近くに仕えるようになった慶次に、前田家は何かにつけて言いがかりを付けてきた。
『礼儀がなっていない』『派手な振る舞いを改めろ』と、まるで慶次が前田家の汚点であるかのような言い様で干渉してきたのだが、慶次は黙して受け流そうとした。
だが、嫌がらせが徐々に過大になり、一触即発の様相を呈するに至って、信長は慶次を一時安土から遠ざけることにしたのだ。
折しも本願寺攻めの最中で、彼方此方で対抗勢力が狼煙を上げていた時期でもあり、信長は慶次に安土を出て各地の情勢を密かに探るように命じた。
表向きは『出奔』という形を取り、秀吉ら武将達にも詳細は伝えない密命だった。
京や堺、西国、九州の国々にまで潜入していた慶次だったが、信長の天下布武が実現し戦の火種がなくなりつつある今、信長の下に帰還を果たしたというわけだった。
(隠密活動も嫌じゃなかったけどな…)
人の輪の中に溶け込むことに長けている慶次は、潜入先でも違和感なく受け入れられたし、各地を転々とすることも苦ではなかった。
それでも、信長の傍で、親しくなった武将達とともに仕えられる今のこの状況には喜びを感じていた。
それから、新たな楽しみも……