第103章 旅は道連れ
前田慶次は、尾張国荒子城の元城主、前田利久の養子だった。
養父は主君である信長によって城主の任を解かれて国を追われ、養子である慶次もそれに従った。
追放は、利久が病弱で実子もなく、長らく武功を上げることもできていなかったからという理由だった。
代わりに荒子城主に任じられたのは、利久の弟で慶次の叔父にあたる前田利家だった。
利家も若い頃には破天荒な振る舞いで織田家を追放されるような血気盛んな男であったが、戦で武功を上げ帰参が許された経緯があった。信長とは旧知の仲でもあり、気弱な利久よりも利家の方が城主に相応しいと信長が判断したのだろうと思う。
(養子である俺から見ても、あの当時父上は覇気が全く感じられず、城主の器じゃなかった。あのまま父上が城主の座についていたら、領地は荒れる一方だっただろう。利家は気に食わない奴だが、御館様のご判断は間違っていなかった)
信長の冷徹とも思われる判断を、慶次は不満に思うこともなく受け入れたが、それでも養子である自分も養父とともに尾張を去らねばならぬことには、僅かながらも憤りを感じたものだった。
信長は慶次に、利家の配下につけば尾張を去らずともよいと言ったが、慶次はそれを拒んだ。
利家とは馬が合わず、派手な言動が目立つ慶次を何かにつけて目の敵にしてくるようなところがあり、慶次はいつも息苦しさを感じていたのだ。
だから、利家の配下になるなど考えられなかった。
父とともに尾張を出る日、慶次は信長に会った。
それまで信長とは親しく言葉を交わしたこともなく、戦場でその威圧感たっぷりの姿を遠目に見るぐらいだったのだが、その日、何故か慶次は初めて信長から声を掛けられたのだった。
荒子城を利家に引き渡し、旅支度をして城を出た慶次を待っていたのは、供も連れずに一人、馬に跨る信長だった。
内心戸惑いながらも平伏する慶次に、信長は鷹揚に声を掛ける。
「貴様が利久の養子か…日ノ本一の傾奇者とはよく言ったものだな」
「お褒めに預かり恐悦至極!尾張を去る日に初めて御館様に声を掛けていただけるとは…こりゃまた、どういった趣向ですかね?」
派手な色使いの着物を纏い、主君を前にしても臆することなく真っ直ぐに見上げてくる慶次を、信長もまた口元に不敵な笑みを浮かべて見据える。