第103章 旅は道連れ
「死にたくなければ、その女を離せ」
信長は男のように声を荒げるわけでもなく、氷のように冷ややかな声で言う。
その尋常ならざる威圧感に怯んだ男は、女を盾にするような格好でじりじりと後退る。
その卑屈な様子からは、女を人質に取れば手を出せまいという浅ましい考えが滲み出ているようだった。
「聞こえなかったのか?俺は女を離せと言ったのだ」
地獄の底から聞こえてくるような低く冷たい声音は、周りにいた全ての者の腹の底まで冷えさせるようだった。
信長は馬上ですらりと刀を抜く。
燃え上がる炎に刃がギラリと反射して凶悪な光を放つ。
「うっ…」
蛇に睨まれた蛙のように、信長の鋭い視線に完全に捕らわれてしまった男だったが、それでも女を離そうとはしない。
ここで離せば己が身の破滅だと、無意識に理解しているからであろうか、女の身体を盾にして何とかこの場から逃げようと隙を窺っている。
が…今、この場で、信長を前にして隙など生じようはずもなかった。
「俺の言うことが聞こえぬとは、貴様の耳は役立たずらしい。役に立たぬものは要らんな」
そう冷たく言い放つと、一瞬のうちに男との間合いを詰めた信長は、馬上から刀を一閃させる。
「ぎゃああっ!」
鋭く振り下ろされた刀はしかし、男を殺めはしなかった。
信長は絶妙な力加減で男の頬に斬りつけ、男の耳の付け根の辺りからはダラリと赤い血が流れていた。
一瞬のうちに斬られて地面に倒れた男は、痛みにのたうち回っている。男の腕が離れ、捕らわれていた女はその場に崩れ落ちた。
「慶次っ!」
「はいよ!お嬢さん、怪我はないか?怖かっただろ?もう大丈夫だ。こいつらは信長様と俺らですぐに片付けてやるからな!」
「っ…あ…あぁ…の、信長…様…?」
信長の名を聞いた女は緩慢な動きで顔を上げると、虚な目で信長を見上げる。
この地でも冷酷な魔王と噂される男は、地に伏して悶え苦しむ男にはもはや興味を無くしたように一顧だにしていなかった。
その表情からは一切感情が読み取れず、女は助かった安堵を感じながらも、信長を前にして恐ろしさで言葉を発することもできなかった。
周辺で暴れていた牢人達は一瞬で倒れた仲間を見て、時が止まったように立ち竦んでいる。
「一気に片を付ける。いくぞ、慶次」
「おうっ!思いっきり暴れてやらぁ!」