第102章 薫風に泳ぐ
「だぁー?」
信長様をキッと睨んでおいてから、無邪気な笑顔を見せる吉法師を抱き上げて、ゆらゆらしながら寝かしつけを開始する。
が……吉法師はキャッキャッと楽しげな声を上げるばかりで、その目は爛々と輝いており、一向に寝る気配がない。
(もー、何で!?何で寝ないのー?)
吉法師を抱いて部屋の中をウロウロと歩き回る私を、信長様は欄干に凭れたまま黙って見ておられたが、
「朱里、代わろう。吉法師をこちらへ」
「えっ、でも…信長様、お疲れでは?」
昼間、強引に学問所の視察に行ったせいで、やはり政務が滞っていたらしく、城門前で帰りを待ち構えていた秀吉さんによって連行された信長様は、夕餉の刻限まで執務室から一歩も出て来られなかったのだ。
「あれぐらいで疲れはせん。貴様の方こそ、疲れてはおらんか?毎日、城と学問所を行き来するのは大変だろう?朝から晩まで動き回っていては、休む暇がなくなったのではないか?」
吉法師を抱き上げて、その背をトントンしてやりながら、信長様は気遣わしげに私を見てくれる。
「大丈夫ですよ。毎日、楽しいですし」
「そうか…ならばよいが…無理はするな。貴様は何でも一人で頑張り過ぎるところがあるからな。困り事があればすぐに申せ」
「ありがとうございます、信長様」
寝かしつけを代わってくれたり、疲れていないか気に掛けてくれたりと、さり気ない信長様の気遣いが嬉しい。
(やっぱり信長様はお優しいな。その優しさに甘えてばかりではいけないと分かってはいるけれど……今はこの幸せな時間に、ただ浸っていたい)
腕に抱いた吉法師を優しげに見つめる信長様を、私もまた穏やかな満ち足りた心地で見つめる。
学問所へ通うようになって、以前より忙しくなったのは事実だ。
吉法師を乳母に託す時間も増え、寂しい思いをさせていないかと不安に思う時もある。
学問所の手伝いも、お城の中のことも、子育ても、全部きちんとやらなくちゃ…と気負ってしまっていた私を、信長様は全て見透かしておられて、それでも敢えて手を出さず、私が思うままにやれるよう見守ってくれているのだろう。
信長様のその優しさが堪らなく嬉しかった。