第102章 薫風に泳ぐ
翌日朝
「母上、ありがとうございます!」
「ふふ…父上が許して下さってよかったわね。学問所へ行くのは午後からだから、結華はそれまでに今日の手習いは済ませておいてね」
「はいっ!」
(結華が嬉しそうでよかった。城下へ行くのも久しぶりだものね)
嬉しそうに自室へ戻っていく結華を微笑ましく見送りながらも、昨夜の信長様を思い出して、思わず口元が緩んでしまう。
「…楽しそうだね、朱里さん。何かいいことあった?」
「わぁっ…さ、佐助くん??」
頭上からいきなり話しかけられて、驚いて見上げると、天井の戸板の隙間からひょっこり顔を出している佐助くんがいた。
「びっくりした…(やっぱり今日も天井裏からだった!)」
「ごめん、驚かせるつもりはなかったんだけど」
音も立てず軽やかに天井裏から降り立った佐助くんは、礼儀正しく私の前に正座する。
「改めまして…お邪魔します、朱里さん」
「あ…いらっしゃい、佐助くん」
お互いに居住まいを正して頭を下げると、ふふふっと笑い合う。
(ふふ…変な感じ。佐助くんって妙に律儀なところがあるんだよね。そういえば、佐助くんが今日来ること、昨日、信長様に言えなかったな。これ、見つかるとまた拙いかな?)
佐助くんが仕える越後の上杉謙信様は、一応は信長様の同盟相手であり、お互いに好敵手という感じではあるが、決して仲睦まじいわけではない。
上杉の忍びである佐助くんのことは信長様もご存じだけれど、こうして二人だけでこっそり会うのは、よく思われないかもしれない。
信長様に隠し事をするつもりはなかったけど、意図せずそうなってしまっているこの状況に、急にそわそわと落ち着かなくなってくる。
「あの、佐助くん…昨日言ってた、私に渡したいものって…」
「あ、そうそう実はこれなんだけど…」
そう言うと背中に背負っていた大きめの風呂敷包みを下ろし、中を開いて見せる。
「わぁ…これ………なに?」
中を開くと目に飛び込んできたのは、色鮮やかな布だった。
見たところ、着物ではないようだが…
「これは『鯉のぼり』だよ、朱里さん。この月は端午の節句があるだろう?吉法師様の初節句のお祝いにと思って」
「端午の節句に…鯉の…のぼり…?」