第101章 妻として母として…その先に
その日の視察を終えて城に戻ってからも、朱里の気持ちは晴れなかった。
(あのお婆さん、あの後どうしたんだろう。家も奪われて…身を寄せる先があればいいのだけれど…)
信長様はあの後、何も仰らなかった。
問題の名主に再度話を聞かれることもなく予定通りに視察を終え、そのまま帰城した。
てっきり名主を詰問されるものと思っていた私は、戸惑いながらも口出しするわけにもいかず、信長様に従って帰城するしかなかった。
(信長様が領民の訴えを無視されるようなことはないと思うけど…どうなさるおつもりだろう)
戦がなくなり平穏な世になりつつあるとはいえ、いつの世も弱き者が虐げられることはなくならないのだろうか。
信長様が民達にいかに心を配られていても、広い領地の全てに目が行き届くわけはなく、強き者に虐げられる民の苦しみに気付いてやれぬ場合もあるのだ。
それ故に信長様は、積極的に領地の視察をなさり、自らの目で見ることを重視されるのだろう。
(何か…私にもできることはないだろうか…)
「……何を考えている?昼間のことか?」
つらつらと考え事をしていたら、いつの間にか黙ってしまっていたらしい。
ハッとして顔を上げると、物言いたげに私を見つめる信長様と目が合った。
何となく気まずい思いがして、その気持ちを誤魔化すように、黙ったままで信長様の空の盃に酒を注ぐ。
そんな不自然な私の様子を見た信長様は、お酒が満ちた盃を手にしたまま、言葉を促すように私をじっと見つめる。
「っ…あの、何か私にもできることはないものかと思って。今回の件で信長様のお考えに口を出すつもりはないのです。今後、領民達が不当な扱いを受けないで済むように…できることがあれば、と」
「貴様が気に病むことはない。昼間の件は、詳細を調べるよう秀吉に命じてある。事の仔細が分かれば、然るべき処断を下すだけだ」
「はい…」
信長様は常に冷静な御方で、情に流されることはない。自ら事実を知り、事実からのみ判断をなさる。
今回のことも、きっと然るべき公平な裁きをされるのだろう。
信長様のなさることに間違いはない。そう信じている。
だから………
「……信長様、あの…私、『やりたいこと』が見つかったのですが…聞いて下さいますか?」