第101章 妻として母として…その先に
「そういえば貴様、『やりたいこと』とやらは見つかったのか?」
馬を並べてゆっくり歩みながら、信長は徐に思い出したように朱里に尋ねる。
先程の老婆の件で少し気まずくなった雰囲気を打ち消すように、話題を変えたのだった。
「いえ、それがまだ……」
朱里は信長の突然の問いに、困ったように眉尻を下げて悩ましい顔をする。
「何かしたい、何かやらねば…とは思うのですが、気持ちばかりが焦ってしまい、これというものがなくて……」
「別に難しく考えることはなかろう。新しく習い事でも始めたらよい。貴様は何でもそつなくこなすが…何か、やったことのないものはないのか?」
朱里は、武家の女としての教養は一通り身に付けていたし、女子とはいえ武術も少し嗜んでいる。
更には、家康に師事して医術や薬学の知識も学んでいた。
(こう改めて考えてみると、俺より余程、多芸に秀でているな、朱里は。この上、何をしようと言うのか…)
朱里の『何かしたい』『妻として母として以外の自分の役割を見つけたい』という気持ちは理解できなくもなかったが、信長にも具体的なことは何一つ想像できなかったのだ。
「私、改めて考えてみたら、色々と出来ることはあっても、その道を極めたものは一つもないんですよね…」
落ち込んだように呟く朱里を、信長は意外そうに見る。
道を極める、などと…こやつ、一体何になるつもりなのだろうか。
「別に極めるほどでなくてもよかろうが。道場でも開くつもりか?」
「やっ…そんなつもりはないんですけど…何か自分が中途半端な気がして…」
「貴様は本当に生真面目だな。もっと気楽に考えよ。俺は貴様が日々退屈せずに過ごすなら、それでよい」
「ふふ…信長様と一緒なら、退屈なんてする暇がないですよ?」
「くくっ…よう分かっておるではないか。俺ならば昼も夜も貴様を退屈などさせん」
「っ…もぅ…」
分かりやすく頬を赤く染める姿を愛らしく思いながら、信長は眩しいものを見るように朱里を見つめる。
何事にも一生懸命な朱里は、キラキラと眩しいぐらいに輝いて見えた。
妻として母としてではない、新たな顔の朱里を見てみたい…それはきっとこの上なく魅力的なのだろうと、そう思うと信長は楽しみで堪らなかった。