第101章 妻として母として…その先に
「信長様…」
さめざめと泣く老婆が気の毒になり、何とかならないものかと信長様の方を見ると、信長様は何事か思案するかのように無言で老婆を見下ろしている。
騒ぎを聞きつけた村の者達も、いつの間にか集まって来ていて、ひそひそと囁き合いながら私達を遠巻きに見守っていた。
「話は分かった。この地の名主は他所から新しく配された者であったな。年貢の件は特に報告はなかった。昨年は不作であったとも聞いてはいない」
「それは……」
「一方よりの訴えだけでは判断できん。名主からも話を聞く必要があるゆえ、暫し待て」
感情の籠らぬ冷たい声で淡々と言う信長に、老婆は益々怯えた様子で身を縮こまらせる。
信長はそれ以上は老婆に声を掛けることはなく、家臣に何事か指示をすると、そのまま馬首を先に向ける。
「冷たいもんだな。鬼だ魔王だと言われてるのも本当だな」
「やっぱり、天下人なんて雲の上のお人は、俺たち下々の者のことなんて何とも思っちゃいねぇんだ…」
「どうせまともに取り合って貰えないさ。言うだけ無駄ってもんだよ」
遠巻きに見ていた村人達の心ない会話が聞こえてきて、キュッと胸が締め付けられる思いがする。
「信長様、あのっ…」
先に行き始めている信長の後を、朱里は慌てて追いながら呼びかける。
呼び止めて何か考えがあるわけではなかったが、憐れな老婆をそのままにして去るのは偲びなかったし、信長様が村人達に悪し様に言われているのを聞くのも辛かった。
「何だ?」
「っ…何とかならないんでしょうか?あのままでは、あのお婆さんが気の毒で…住む所も奪われてしまうなんて」
「朱里、情に流されて判断を下すのは得策ではない。この場で結論を出すには情報が足りんのだ。暫し待て、と言うたであろう?」
「っ…でも……」
「たとえ貴様でも政に口を出すことは許さん。この話は終いだ。先を急ぐぞ」
「っ…はい…」
反論を許さぬ厳しい表情の信長に、それ以上何も言うことはできず、朱里はグッと口を噤むしかない。
普段、朱里には甘い信長だが、公私の別には特に厳しい人であり、情に絆されることはないからだ。
一見冷たく思えるような振る舞いだが、信長が真実冷たい人ではないことはよく分かっている。
それでも、落胆した様子の老婆たちの姿が目に焼きついて離れず、朱里は何ともやるせない思いに打ちのめされるのだった。