第100章 君に詠む
覚束ない足取りの朱里を支えて別堂へ入った信長は、案内された席に着きながら周囲に素早く視線を巡らせる。
信長の鋭い視線に落ち着かない様子を見せる者
弱々しい様子の朱里に好奇の視線を向ける者
皆、反応は様々だが、どこか余所余所しい態度を感じさせるのは、この場にいる大方の者が朱里への嫌がらせを知っていたのだろうと思われる。
つまらない嫌がらせだ。
命に関わるほどのことではない。
この場で首謀者を探し出しても、のらりくらりと誤魔化されるに違いなく、やるだけ無駄というものだろう。
事を荒立てて、公家衆との関係を悪化させるのは賢明ではないことも理解している。
(くっ…分かってはいるが、腹立たしいっ!)
「信長様…」
そっと寄り添うように傍らに座っていた朱里が、小さな声で信長を呼ぶ。
苛立ちと怒りに塗れた信長の心は、朱里の声を聞いただけで一瞬にして冷静さを取り戻し、柔らかな声音で応じる。
「大丈夫か?」
「はい…ちょっと身体が熱いですけど、大丈夫です。あの、信長様…私、本当に大丈夫ですから、あまり心配なさらないで下さいね。少し休めば楽になると思いますから…」
「くっ……」
朱里は、苛立つ俺の心を読み、安心させるように微笑んでみせた。
その全て包み込むような天女の如く美しい笑顔に、信長はグッと強く胸を打たれる。
頼りなげに見えるのに、その心の内は強く、しっかりと己の有り様を弁えている。
儚げで、それでいて芯の強い……朱里はそんな女だった。
(俺としたことが浅慮であった。朱里のことになると、どうも冷静さを欠いてしまう。何があろうと俺が守ってやらねばと思っていたが…朱里はただ守られているだけで良しとするような女ではなかったな)
「朱里、これが終わったら、先に宿所へ戻れ。光秀を付ける。俺もなるべく早く戻るゆえ、ゆっくり休んでおればよい」
「えっ…でも……」
(宴席には帝もお出ましになるのに、急に出ないというのは失礼ではないのかしら…でも、こんな体調で無理をして出て何か不始末があってもいけないし…)
悩ましく眉を顰める朱里の手を、信長はそっと優しく握る。
「宴席には出ずともよい。貴様は己の役割をきっちりと果たした。ここまでで充分だ」
「信長様っ……」