第100章 君に詠む
遣り水のほとりに各々座ると、用意された舞台の上で白拍子の舞が始まった。
白拍子舞とは男装した遊女の舞で、緋の長袴に水干を着け、飾り太刀を吊り、扇をかざして今様や和歌を唄いながら、鼓や笛の音に合わせて舞うものである。
白拍子は遊女ではあるが、身分の高い貴人に招かれて舞を披露することも多く、教養も高いため、今日のような宮中行事に招かれることも多いのだ。
美しい白拍子の舞に目を奪われながらも、朱里は人知れず小さな溜め息を吐いた。
(はぁ…どうしよう。信長様と離れ離れになっちゃった…)
案内された順に座に着くものと思っていたのだが……意図的なのか偶然なのか分からないが、私は信長様と離れて座らせられてしまったのだ。
離れれば、途端に不安でいっぱいになる。
(一人でも…大丈夫だよね?光秀さんに教わったようにやれば大丈夫。盃が流れて来るまでに歌を詠んで、流れてきたら盃を取り上げて飲んで、次の方へ流すだけ…)
頭で何度も確認してみても不安に揺れる気持ちは隠せず、信長様の方をチラチラと窺いながら、無意識に手に持っていた扇をその場で落ち着きなく弄ってしまっていた。
「ちょっと、少しは落ち着きなさいよ。それじゃあ、見ているこっちが気が気じゃないわよ」
「っ…あ…綾姫様……」
ちょうど遣り水を挟んで私の向かい側に座った綾姫様は、呆れた顔で私を見ていた。
「信長様の方ばっかり見ていないで、周りも見たらどう?こちらのお庭はお花もとても綺麗よ」
言われてみれば、緊張して周りもよく見えてなかったかもしれない。
見上げてみれば、頭上の桜の木には薄紅色の桜の花が綻び始めていた。
遣り水のほとりには、水仙やスミレなど可憐な花も咲いていて、春らしい穏やかな陽気が漂っている。
彼方此方に春の訪れを感じさせるような庭の様子は、洗練されていて見事なものだった。
(本当に素敵なお庭…桜の見頃はまだこれからだけど、咲き始めの桜も風情があっていい感じ)
「綾姫様、ありがとうございます。私、緊張し過ぎてて…庭の風情を楽しむ余裕もなかったみたいです」
「私達女子が御所へ呼ばれる機会なんて滅多にないんだから、楽しまないと損よ。ほら、もう始まるわ」