第100章 君に詠む
信長はさり気なく朱里を自分の背に隠すようにして、苦々しい顔で周囲をジロリと睨む。
朱里に好奇の目を向けていた公家たちは、信長の鋭い視線に慌てたように目を逸らした。
(あからさまな目で見おって…貴様らごときが朱里を無遠慮に品定めするなど…実に腹立たしい)
「信長様……」
思わず、苛立ちが顔に出そうになる信長の様子を察して、朱里はそっとその袖を引く。
「つ…朱里っ…」
『大丈夫です』
そう伝えるように、信長を見つめて朱里は柔らかく微笑む。
予想外に落ち着いた様子の朱里を見て、信長もまた本来の冷静さを取り戻す。
慣れぬ場で不安なはずなのに、信長を心配させぬよう笑ってみせる朱里の健気な姿に、グッと胸が締め付けられる思いだった。
言葉を交わさずとも気持ちが通じ合ったかのように、互いに見つめ合う。
騒がしい周りの視線など、少しも気にならなかった。
「大層なご寵愛や言うのも、噂どおり…みたいやなぁ」
前久が揶揄うように、それでいて、さも愉しそうに言うのが聞こえる。
「長い付き合いやけど、信長さんが女人にそんな優しい顔を見せはるとこ、初めて見たわ。今日集まってはる姫さんたちが見たら、さぞかし悔しがるやろなぁ。何と言うても、今日の出席者は皆……」
「……おい、煩いぞ。余計なことを言うな」
「はは…これはご無礼を。そんな怖い顔せんといてや…ほら、そろそろ始まりますよって、行きましょか」
前久に促されて見ると、琴の優美な音色が流れる中、庭に集まった出席者たちは、女童に先導されて遣り水のほとりに移動を始めていた。
「朱里、行くぞ」
差し伸べた俺の手を見て、朱里はふわりと嬉しそうに微笑んで自身の手をそっと重ねる。
そのほっそりとした美しい手を、離れぬようにぎゅっと包み込むと信長はゆっくりと歩み出したのだった。