第100章 君に詠む
翌日早朝
(うぅ…どうしよう、緊張してきた。まだ御所に着いてもいないのに…)
御所へ向かう塗輿の中で、私は徐々に湧き上がる緊張感で気持ちが揺れに揺れていた。
着慣れない小袿姿に、おかしなところはないだろうかと、先程から布地に何度も触れては確認していたが、それでも一向に落ち着かないでいた。
宮中に参内するにあたって、信長様が用意して下さった今日の衣装は、白地の小袿を萌黄色の単衣に重ね、緋色の長袴を合わせたもので、小袿姿は公家の女性の準正装だった。
小袿は白地に横繁菱紋(よこしげひしもん) の下文、梅の丸と桜の丸文、霞み紋の上文が入った上質な二陪織物(ふたえおりもの)だ。
重ねの色目は柳襲(表が白で裏が淡青)で、この季節らしい春色の重ねだった。
着慣れないせいか扱いには戸惑うこともあるが、派手ではなく落ち着いた色味の上質な織りの衣装で着心地はとてもよかった。
(素敵な衣装…桜の紋様が春らしくていいな。そういえば…もうそろそろ桜が咲き始める頃よね。大坂でも早咲きの桜はちらほら蕾が見えていたし、宮中にも桜はあるかしら…)
毎年、桜の時期は皆で城の内外でお花見を楽しんでいる。
花は何でも好きだが、桜は特に好きだった。
小田原で信長様と初めて出逢った日がちょうど桜の季節であったこともあり、ヒラヒラと舞う桜の花びらと、男らしく刀を振るう信長様の姿は今でも忘れられないでいる。
今年の桜はどうだろうかと、ふと考え始めると急に外の様子が気になって仕方がなかった。
(京の桜はもう咲いてるかしら…ちょっと見てもいいかな…?)
少し外を見たくなり、揺れる輿の戸をそっと引いてみると……
「どうした?気分が優れぬか?」
「ぁっ…信長様…」
私の輿の横で馬を歩ませていた信長様は、すかさず私に声を掛けてくれた。
「あ、いえ…大丈夫です。ちょっと外の様子が気になって…」
「そうか…もうすぐ着くゆえ、覗き見なら我慢しろ。外は見物客で溢れている…ひと目、天女の姿を拝みたいと、京の町人が多数集まっているようだぞ」
「えっ!ええっ…そんなっ…」
思いも寄らぬ信長様の言葉に、輿の戸にかけていた手を慌てて止める。
(危なかった…覗き見なんて、はしたないって思われちゃうとこだった……)