第100章 君に詠む
だからこそ、京で朱里が恥をかかぬよう、その心が傷付かぬよう…信長も光秀もそれだけを考えていたのだが……
(自分が傷付くよりも御館様が傷付くことが嫌だと…お前はそう思うのか。朱里…お前の心はどこまでも美しいのだな)
「だから光秀さん、私、もっと頑張ります!もっと上手に詠めるように…教えて下さい、さっきの歌、どこが悪かったですか?」
「ふっ…随分と張り切ってるな。そうだな…お前は和歌の基本は理解したようだが…人の心を打つような歌を詠めているとは言い難いのだ」
「人の心を打つ歌……」
「和歌の技法や言葉の言い回しなどは、それこそ修練を積めば誰でも出来るようになる。経験や知識があれば、それなりの歌が詠めるだろう。だが、本当に人の心を打つ歌というのは、己の心の内を己の言葉でありのままに表現したものなのだ。
ありのままの感情は、人の心の奥深くに響く」
「自分の感じたことを自分の言葉で詠む、ということですか?それって簡単なようで難しいことですね」
「そうだな。だが、どんな高度な技巧を凝らした歌も、己の感じたままを飾らぬ言葉で表現した歌には敵わないものだ。
朱里、お前の素直さは美徳だ。
どのような歌題が示されようとも、お前はお前の思うままに詠めばよい」
「光秀さん…」
自分の思うままに歌を詠めばいい……そんな風に言われるとは思っていなかった。
連日、和歌の基本を学び、古典に親しみながら、上手く詠もうとばかり考えていた。
上手な言い回し、洗練された言葉を使うことに気を取られ、私の歌詠みは言葉遊びのようになっていたのかもしれない。
自分が何を思い、どう感じたか…それを素直に詠めばいいのだと言われ、何かスッと心に落ちたような気がした。
(基本に沿うことは大事だけど、形に囚われてばかりいてはダメなんだ。自分の感じたままを詠む…難しいけど、頑張ってみよう)
最初は乗り気ではなかった和歌の修練も、今は少しずつ楽しくなってきているのも事実だった。
優雅な都人たちに混じって歌を詠むなんて無理だと腰が引けていたのが、光秀さんとの日々の修練で自信がついたのか、京へ行くのを楽しみに思うようにもなっていた。
(御所へ上がるなんて、もう二度とないことだろう。上手に詠めるかなんて分からないけど…せっかく頂いた機会だもの、悔いのないように、思うままにやってみよう)