第100章 君に詠む
それから上洛の日までの数日間、光秀さんによる和歌の講義は続けられた。
光秀さんも暇ではないので、時間のある日は付きっきりで講義を受け、時間のない日は私一人で歌集を読んだりと、それこそここ数日は歌詠み三昧の日々を送っていた。
数をこなせば自信も付いてくるのか、近頃は光秀さんに貶されても最初の時ほど気落ちすることもなくなっていた。
「まぁまぁ形にはなってきたな。格別素晴らしい歌というわけでもないが、とんちんかんでもない、と言ったところか」
先程詠んだばかりの私の歌を、光秀さんは短冊を弄びながら批評する。
「光秀さん、それって…要するに平凡な歌ってことですか?」
結構自信作だったのにと、ガクリと肩を落としながら恨めしげに光秀さんを見つめる。
「くくっ…そんな蛸みたいに口を尖らせるな。平凡が悪いと言っているわけではない。お前、まさか公家衆よりも良い歌を詠まねばならないなどと気負っているわけではあるまいな?それは端から無理というものだ」
「そ、それはそうかもしれないですけど…でも…私がつまらない歌を詠んでは信長様が恥をかくことになります。付け焼き刃の知識でも、それなりの歌が詠めるようにならないと。私が笑われるのは構わないけど、信長様に恥をかかせるわけにはいかないから…」
「朱里、お前は……」
この娘はどこまで純粋なのだろう…自分のことより御館様のことを、とは……
光秀は眩しいものを見るような目で朱里を見つめる。
此度の上洛、公家衆たちの思惑はおおよそ読めている。
曲水の宴の出席者の顔触れは、摂政、関白、右大臣、左大臣、その他大勢…錚々たる顔触れだが、その多くが一度は御館様に縁談を持ち掛けてあっさり断られた面々だった。
己の自慢の娘を、ろくに見もせずに袖にされた公家衆の憤り、不満は、信長の寵愛を一身に受ける正室へと向けられるのは必然だ。
『天女のよう』だなんだと騒がれていても、所詮は関東の田舎大名の娘、雅やかな教養などとは縁遠いだろう、風雅な都人に混じって歌など詠めるわけがない。帝の御前で貶めてやろう……そんな悪意ある思惑を光秀はひしひしと感じていた。
信長もまた、それは承知の上で、それでも此度の上洛に朱里を伴うという決断をした。
帝からの直々のご命令だったとはいえ、朱里を心から大切に思う信長にとっては、苦渋の決断だっただろう。