第100章 君に詠む
「不都合しかない…貴様も俺と供に御所へ上がり、曲水の宴に出るのだからな」
サラリと告げられた言葉に、今度こそ聞き間違いだと思う。いや、聞き間違いだと思いたかった。
「………え?ええっ…な、何言って…う、嘘っ、何て言いました、今?」
「貴様は俺と一緒に御所へ行き、曲水の宴に出る。公家衆に混じって、俺も貴様も歌を詠まねばならん」
「無理です!絶対に無理!第一、私が御所へ上がるなんて有り得ません!そんな身分じゃないのに…畏れ多いです」
「それについては帝がお許しになっている。俺の正室として今回限りの例外だそうだ」
「そ、そんな例外…いらないです。断って下さい!信長様」
「くっ…貴様、『いらない』などと、言い難いことをはっきり言う奴だな。だが無理だ。帝の御命令だ、この話はもう断れん」
「そ、そんなぁ……」
先程まで自分には無縁の遠い世界のことと心の中で気儘に思い描いていた平安絵巻のような雅やかな風景が、一気に現実味を帯びたものになってしまい、居た堪れない思いがする。
ただでさえ歌詠みには自信がないのに、公家衆に混じって即興で詠まねばならないなんて敷居が高過ぎる。
宮中の方々は歌を詠むことにも長けておられるだろうし、その場には帝もいらっしゃるのだろう。
そのような大事な場で、信長様の正室として生半可なことはできない。失敗したら、信長様に恥をかかせることにもなりかねないのだから……
(無理…本当に無理っ…責任重大過ぎるよ…)
「の、信長様、やっぱり私には荷が重いかと…」
泣きそうな思いになりながら恐る恐る言う私の肩を、宥めるようにぽんぽんと叩いた信長様は、私の必死の訴えをあっさりと聞き流した。
「出立まであまり日にちがないが、明日から和歌の修練を致せ。取り敢えず形になればよい」
「そんなこと言われても、和歌の修練なんて何から始めたらいいのか…」
詩歌の世界は、素人には分からないことが多過ぎるのだ。
「案ずるな。初心者の貴様に最適な和歌の師がおる。そやつに指南を命じておいた」
「最適な…師…?」
『最適な師』というよく分からない言葉とニヤリと不敵に口角を上げる信長様を見てしまった私は、もう不吉な予感しかしなかった。