第100章 君に詠む
「此度は確か、内裏で行われる『曲水の宴』に出席されるのでしたね。きっと絵巻物みたいな華やかな催しなのでしょうね」
曲水の宴は、水の流れのある庭園などでその流れの淵に出席者が座り、流れてくる盃が自分の前を通り過ぎるまでに詩歌を詠み、盃の酒を飲んで次へ流し、別堂でその詩歌を披講するという宮中行事である。流觴(りゅうしょう)などとも称される。
狩衣を纏った公達や小袿姿の女人たちが、澄んだ清流を前に即席で詩歌を詠むという、何とも雅やかな催しである。
(信長様も詩歌を詠まれるんだよね。何をやっても完璧な方だけど、歌を詠むところなんて見たことないな…)
鷹狩や馬術、鉄砲など、武将らしい勇壮な嗜みは勿論のこと、茶の湯や能楽など芸術面においても造詣が深い信長様だから、詩歌の嗜みも当然あるのだろうと、漠然と考えてみる。
(どんなお歌を詠まれるのかしら。曲水の宴ってお題も当日まで秘密なんだよね。信長様のお歌…っ…聞いてみたいな)
「……朱里、貴様、詩歌の嗜みはあるのか?」
「……えっ?」
狩衣姿の信長様が歌を詠む姿を想像して心の中でニヤけていた私に、信長様は思いも寄らぬことを聞いてくる。
「貴様が歌を詠むところは見たことがないが…詠めるのか?」
「う〜ん…和歌を詠む機会なんてこれまであまりなかったので…正直言って、ど素人です。小田原の実家でも、和歌を詠んで過ごすようなお姫様らしい暮らしはしてこなかったですし」
「あぁ…貴様は初めて会った時も、馬に乗った勇ましい姿であったな」
「ふふ…そうですね。部屋の中に篭って大人しくしてるよりは、馬に乗って外に出ることの方が好きでしたから…あ、でも女らしい嗜みだって、ちゃんと出来るんですよっ!鼓とか琴とか…」
何だかとんでもないじゃじゃ馬だと思われては心外だと慌てて付け足した私を見て、信長様は可笑しそうに笑う。
「分かってる。そうムキになるな。俺は貴様が歌が詠めるかが知りたかっただけだ。貴様が誰よりも女らしいことは百も承知だ。だが…そうか…それでは些か不安だな」
信長は朱里の頬をするりと優しい手付きで撫でてから、何事か思案するような顔になる。
「あの、信長様?私が歌を詠めないと、何か不都合があるんですか?」
(曲水の宴に参加するのは信長様なのに、何で私の心配を…?)