第98章 翠緑の恋情
「わ、私に…く、口付けしなさい」
「………………」
勇気を振り絞って言ったのに、信長様は何故か黙ったまま微動だにしない。
「の、信長様っ!何で黙るんですか?」
「………これは、存外唆られなかったな。やはりこっちの方が…」
「…………は?」
何を仰ってるんだと頭が混乱している私を、信長様は膝の上から下ろし、立ち上がらせた。
信長様はその場に胡座を掻いて座ったままだ。
信長様と向かい合わせに立った私は、必然的に信長様を見下ろす格好になっていた。
「ん、この方が良い。朱里、仕切り直しだ。先程の俺への命令をもう一度言え」
ニヤリと不敵に笑いながら、とんでもないことを言う。
「はぁ!?なんてこと言うんですかっ!もう一度なんて…さっきだって恥ずかしいのを我慢して言ったのに…もう無理ですよ!」
「無理ではない。いいから早くしろ」
「うぅ…」
(もぅ!これ、何の嫌がらせ?信長様、絶対に私で遊んでるよね?)
ジトっとした目で恨めしげに見つめてみるが、信長様は素知らぬ顔でニヤニヤしている。
一体これは何の辱めだろう…そもそもこれ、何から始まったのだっけ…?
「朱里」
「っ…はいはい、分かりましたっ!言いますよ!言えばいいんでしょ、言えば…う〜、もぅ!」
「っ、くくっ…子供みたいな膨れっ面をしおって」
子供はどっちだと、内心ぶすぶす不満を溢しながらも、言わないと後でどうなるか分からない不安に駆られた私は、仕方なく、もう一度、意を決して口を開くのだった。
「っ…私に口付けなさいっ!」
「…どちらに口付けたらよろしいですか?」
「なっ…っ…く、唇に…口付けて」
「……唇、だけでよろしいか?」
「っ……」
焦らされたせいで、頭の天辺から足の先まで身体中がジクジクと熱く疼いている。
唇だけじゃ…もう足りない。身体中が信長様に触れて欲しくて…愛されることを欲している。
「っ…唇だけじゃ…イヤ。全部…っ…私の全部に触れて…っ…口付けなさい」
「……仰せのままに、奥方様」
床の上に跪いて恭しく私に向かって首を垂れた信長様は、徐に私の手を取り、その甲に柔らかく口付けを落とした。
「っ、あっ……」
唇が触れたところから、じわりと熱が広がっていく。
下から見上げる信長様と視線が絡まり、熱の篭った紅玉の瞳から目が離せなくなる。