第97章 愛とは奪うもの勿れ
「あの、綾姫様?私に何かお話があるのですよね?わざわざ来て下さって…」
「私、明日には京へ帰ることになりましたの」
「………え?」
「ですから、ご挨拶に伺っただけです」
「っ…あ…そう、ですか…」
京へ帰る…それは綾姫様と信長様の縁組の話がなくなったということだろうか…綾姫様は信長様のことを諦めて下さったのだろうか…
「……もっと嬉しそうな顔したら?」
「えっ……」
冷ややかな声音に、ハッとして顔を上げると、鋭く睨むような視線に絡め取られる。
「信長様は私との縁組を正式に断られたわ。これで邪魔な女がいなくなるのよ。嬉しいでしょ?もっと嬉しそうにしなさいよ」
「っ…そんな……」
何と言っていいのか分からず口籠る朱里を、綾姫は呆れたように見る。
「ほんと貴女ってお人好しなのね。侍女達も皆、言ってたわ。『奥方様は誰に対しても公平でお優しい』って…そんなの単なる偽善じゃないっ!信長様に愛されてるのは自分だけ、側室なんてお呼びじゃないのよって、本当はそう思ってるんでしょ?それとも、信長様は公家の姫になんて見向きもされないはずだと、最初から自分に自信がおありだったのかしら?」
「っ…そんなこと、ないですっ!自信なんてあるはずない。私は、いつだって不安で…信長様を誰にも奪われたくないと…そればかり考えて、貴女にも嫉妬してしまって…あっ…」
思わず本音が出てしまい口を押さえる朱里に、綾姫は険しかった表情を僅かに緩める。
「嫉妬?ふ〜ん、貴女が私に?そう…なら、少しは私の気も紛れるわね」
「えっ……?」
困惑する朱里をチラッと眺めてから、綾姫はふぅっと溜め息を吐く。
「私ね、信長様のことが本気で好きだった。家のこととか、政略とか、そういうのに関係なく、信長様のお傍に行きたかった。
側室でも…二番目でもいいから愛してほしかった。
でも…あの日、信長様は、はっきり言われたわ。
『側室を娶る気はない。俺には唯一無二の女がいる。今もこの先も二番目などありえん』って」
「っ………」
「『一生自分を愛さぬ男の傍にいても虚しいだけだと思わぬか?』って言われて、信長様が私の想いを受け入れるつもりがないって分かったの。側室に迎えられたら、貴女から信長様を奪ってやればいいって思ってたけど…信長様のお心は…愛は奪えるものではないのだと……」
「綾姫様……」