第97章 愛とは奪うもの勿れ
それから数日、朱里の周りでは何事もなく日々が過ぎていった。
京で此度の縁組の調整にあたっているという光秀は、いまだ戻っていなかった。
(信長様は正式に断りを入れたと仰っていたけれど…光秀さんが戻って来ないのは、朝廷との交渉が上手くいっていないからなの…?)
織田家と公家衆との結び付きを強めることは、帝のお望みでもあるという。
いかに信長様が天下人として帝からの信頼が厚いとはいえ、帝の御意志に背くような振る舞いをしてご不興を買うようなことにでもなれば…再び世が乱れることにもなりかねないだろう。
(この話は一体、どうなってしまうのだろう。私は、ただ待っているだけしかできないなんて…)
綾姫様とも、あの日以来、直接話をすることはなくなっていた。
唯一顔を合わせる機会になっていた朝餉の席にもお越しにならず、部屋に篭っておられるようだった。
(私から会いにいくのも気まずいし…会っても何をどう話せばいいのか…)
顔を合わせれば、あの日、湯殿で見た光景が思い出されて、嫉妬に駆られて激しく取り乱してしまうかもしれない。
信長様が綾姫様を側室に迎えることはないと頭では理解しているが、それと湧き上がる嫉妬の感情は別なのだ。
「はぁぁ……」
どうしようもない己の負の感情を嘆き、深く長い溜め息を吐いたその時……
「……失礼するわよっ…」
「っ…えっ…綾姫、さま…?」
いきなり襖が開いて、現れたのは綾姫だった。
入り口に立ったまま、険しい顔で朱里を見下ろしている。
「あ、あの…急にどうなさったのですか?私に何か…」
突然の訪問に慌ててしまい、しどろもどろになる私に対して、綾姫は落ち着いた様子だった。
「………入ってもいいかしら?」
「あっ…す、すみません。どうぞ…」
(いけない、しっかりしなくちゃ…こんなことで取り乱してどうするの…これは、いきなりの恋敵との直接対決…?ここは毅然とした態度を見せなくてはっ…)
「……………………」
「……………………」
向かい合って座ったものの、互いに口を開くことなく無言で対峙する二人。
(うっ…緊張する。何を話したらいいんだろう?そもそも綾姫様は何のために来られたのだろう…やっぱり、信長様のこと、だよね…)