第97章 愛とは奪うもの勿れ
顔を覆う手の甲に、そっと口付ける。
壊れものを扱うような繊細さで触れる信長の口付けは、柔らかく温かだった。
「朱里…顔を見せてくれ。貴様を泣かせて、俺が平静でいられると思っているのか?」
「んっ…やっ…信長様…大丈夫です。私、泣いてなんか…」
泣いていないと強がりを言いながらも、その涙声を信長が気付かぬわけはないと分かっていた。
分かってはいたが、これ以上信長に心配をかけたくないという思いと、弱々しく泣いてしまった恥ずかしさを隠したいという気持ちとで、どうしても顔を上げられなかった。
「っ…うっ…」
「朱里っ……」
信長は堪らず朱里の身体を抱き寄せて、胸元にその顔を埋めさせた。
「あっ…信長、さま…」
「泣いても構わん。俺の前では我慢などせずともよい。繕わず、ありのままの顔を見せよ。俺が愛するのは貴様だけだ。何があろうと変わらぬ…永遠にな」
全て包み込むような信長の言葉に、抑えていたものが堰を切ったように溢れ出し、朱里は声を上げて信長に縋り付いた。
「うっ…あっ…あぁっ…信長さまっ…信長さまっ」
本当はとても不安だった。
綾姫様が側室になられたら…信長様の心が離れてしまったら…そう思うと胸が苦しくて苦しくて、どうしようもなかった。
浅ましく嫉妬する心の内を、信長様に知られたくなかった。
自分だけを見てほしい、他の女人になど目を向けないでほしい、と心の中で強く思いながらも、己の浅ましい独占欲を信長様には気付かれたくなかったから、平気な顔を装おうとした。
(でもダメだった。信長様に触れる綾姫様を見ただけで、私の強がりなんて簡単に崩れてしまった。弱い自分が情けない……でも、信長様はこんな私を愛してると言って下さった。
今は…今だけは…その言葉に甘えていたい…)
信長の胸元に顔を埋めて、その背に腕を回して縋り付く朱里を、信長は黙って抱き締め続けた。