第97章 愛とは奪うもの勿れ
「っ…御館様っ!お、お待ち下さいっ…」
悲鳴にも似た秀吉さんの制止の声に、信長様の動きがピタリと止まる。その場の空気が、一気に凍りついたような寒々としたものになった。
「恐れながら、京よりのお客人もいらっしゃる場です。御自重下さいっ!」
平身低頭しながらも信長様に意見する秀吉さんに、私は救われたような心地だった。
(信長様に触れられるのは嬉しいけど…こんな風に見せつけるみたいなのは、やっぱり嫌…)
「秀吉、貴様…この俺に意見するつもりか?いい度胸だな」
朱里を腕の中に捕らえたまま、信長は冷え切った氷のような目で秀吉を見据える。
初めて見る者なら、その場から動けなくなるような威圧感たっぷりの目だったが、秀吉は信長の視線を真っ直ぐに受け止めて微動だにしなかった。
(お二人が仲睦まじいのは良いことだが…あまりに綾姫様の機嫌を損ねるのもどうかと思う。またもや帝へ不満を訴えられでもしたら…今度こそ御館様のご権威に傷が付くことにもなりかねない。ここは何とか穏便に済ませなくては…)
御館様は、綾姫の自分への好意に気付いておられるのだろう。
気付いていて、敢えて朱里との睦まじさを見せつけるようなことをなさっているのだ。
側室などが入り込む余地はない、と見せしめるために……
だが……女の嫉妬は時に恐ろしい。
嫉妬に狂い、我を忘れた女は何をするか分からない。
あまり刺激しすぎるのは、かえって危険だ。
「ふっ…まあ、よい。貴様のせいで興が削がれたわ。朱里、この続きは今宵、閨でな…たっぷり喰ってやる」
「っ…はい……」
チュッと軽い音を立てて額に口付けを一つ落とすと、信長は朱里を膝の上から降ろして、何事もなかったかのように朝餉を再開する。
上座の信長達の様子を固唾を飲んで見守っていた武将達もホッと息を吐いて、広間には元の穏やかな空気が戻り始めていた。
「全く…秀吉は堅いな。あのまま見せつけてやれば面白いことになったのに…」
「光秀さん…あんた、煽るようなこと言ってましたよね?やめて下さいよ、引っ掻き回すのは。はぁ…面倒臭い」
「まぁ、そう言うな。お前だって朱里を悲しませたくないだろう?あの娘は御館様の隣で笑っているのが似合いだ、そう思わんか?」
「それは…そうです。あの人の側室問題で辛い顔してるあの子を、これまでだって何度も見てきたから…」