第97章 愛とは奪うもの勿れ
朱里は誰に対しても優しい女だ。
これまでにも俺に側室を薦める話は何度もあったし、候補の姫が城に押しかけてきたこともあったが、朱里はいつも、相手の女を悪様に言ったり、嫌がらせをしたりするようなことは一切しなかった。
内心の想いをひた隠しにし、相手を気遣う素振りすら見せるのだ。
そういう『出来た』正室である朱里を、信長は誇らしく思う反面、何となく物足りないような複雑な思いも抱いていた。
道理を弁えた物分かりのいい妻でなくてもいい。俺を困らせるぐらいの我が儘を言ってくれても少しも構わないのに……
(俺を独り占めしたい、奪われたくないと、嫉妬に狂い、我を忘れて取り乱す朱里を見たい…などと思ってしまう。俺はどれだけ貴様に溺れているのか…)
俺は、何者にも遠慮したくない。本能のままに朱里を欲して…愛したい。
朱里にも… 取り繕うものなどなく、本能のままに俺を欲してほしい。
そう望む俺は、ひどく欲が深いのだろうか。
「信長様…私は…」
上手く気持ちを整理できないのか、膝の上でぎゅっと手を握り締めて口籠る朱里を、信長は包み込むように抱き寄せる。
「許せ、心にもないことを言った。貴様を困らせるつもりはなかったのだ。綾姫が俺をどう思っていようが関係ない。貴様がそれを心苦しく思う必要などもない。俺が愛するのは朱里、貴様だけだ。何があろうとそれは変わらぬ。貴様は俺のただ一人の妻、堂々と構えておればよい」
「っ…はい…」
腕の中で小さく頷く朱里は、それでもまだ心が揺れているようだった。
朱里の心を守ってやりたい。
大丈夫だ、心配するな、お前だけを愛している、と言葉にして何度伝えても、朱里の不安は完全には拭えぬようだった。
言葉だけでは足りぬなら…この身の全てで貴様を安心させてみせる。
(朱里…俺が守りたいのは貴様だけだ。貴様の身も心も全て…俺がこの手で守ってやる)