第97章 愛とは奪うもの勿れ
予想外の光景にお茶を乗せた盆を手に持ったまま立ち尽くす綾姫を見て、朱里は差し出していた菓子を慌てて皿に戻そうとするが、一瞬早く信長がその手を掴む。
「あっ!ちょっと…信長様っ…」
ーぱくっ…
朱里の手を掴んだまま、蜂蜜が滴る菓子を口の中へ迎え入れる。
たっぷりと掛かった蜜が口の端を汚し、信長は菓子を頬張りながら舌でペロっと蜜を拭う。
女の手から菓子を食べるなど子供みたいなことをなさるのに、何気ないその仕草の一つ一つが、堪らなく色っぽい。
「ん…美味い。やはりこれぐらいたっぷりとかけた方が甘くて美味いぞ」
「もぅ、かけ過ぎですよ、蜂蜜。少し加減なさって下さいね」
満足そうに口元を緩める信長に、困ったように微笑みながら皿の上の菓子を見る。
小麦粉と卵、砂糖、ふくらし粉を混ぜてふんわり丸く焼いた菓子の上から、たっぷりの蜂蜜をかけたもの。
先日城を訪れた南蛮商人に見せてもらった西洋菓子の本に載っていた菓子を、信長の今日の茶菓子にと朱里が手ずから作ったものだった。
朱里は菓子作りが気に入っているようで、政宗に教わったり、自分で書物を調べたりしながら、普段からよく菓子を作っていた。
特に南蛮の菓子は信長が好きなこともあって、城に出入りする商人達から新しい菓子を教えてもらうことも多かった。
「ふっ…加減などと秀吉のように言いおって。菓子は甘い方が美味いに決まっておる」
「ふふ……秀吉さんがいなくてよかったです。あ、綾姫様、信長様にお茶を持って来て下さったのですか?ありがとうございます。宜しければ一緒に召しあがりませんか?」
仲睦まじく菓子を食べる二人に、どことなく気まずい思いになりながら所在なげに立ち尽くす綾姫に、朱里は気遣うように声をかける。
が、信長の態度は至って冷たい。
茶は間に合っていると言わんばかりに、朱里の点てた茶をこれ見よがしにグイッと呷ってから、綾姫の方を見ることもせず、皿の上の菓子に手を伸ばす。
菓子を一口大に切ると、たっぷりの蜂蜜を纏わせる。
「ん、口を開けよ、朱里」
「え…ええっ…ちょっと待って…私は…」
二人きりでもないのに、食べさせ合いなんて恥ずかしい。
戸惑う朱里とは反対に、信長はまるで綾姫の姿など見えていないかのように振る舞うのだ。
(うっ…信長様ったら…私の方が気を遣っちゃうよ……)