第97章 愛とは奪うもの勿れ
それから暫くの間、綾姫は世話係の侍女にあれこれと命じていたが、やがて手持ち無沙汰になり部屋の中で暇を持て余していた。
「はぁ…ずっとここにいるのも退屈だわ。誰も来てくれないし…」
京から突然やってきた側室候補の公家の姫に、城内の者達は躊躇いを隠せないらしく、積極的に関わってくることもなかった。
特に奥仕えの侍女達は皆、突然現れた綾姫に明らかに不満げな様子だった。
(ここでじっとしてても何も進展しないわ。私は信長様ともっとお話したいのよ)
侍女に聞いたところによると、信長は執務中だという。
ならばお茶でもお持ちしようと、いそいそと執務室へと向かう。
大坂城の絢爛豪華な広い城内に目を見張りつつ執務室の前まできた綾姫が、入口の前で声をかけようとして口を開きかけたその時……
「んっ…朱里っ…もっと、だ」
「ふふ…もぅ、信長様ったら…欲張りなんだから」
「っ…早くしろ、朱里。もう待てん」
「ぁっ…んっ、ちょっ…そんな強引に…ダメっ…」
(っ…何っ??信長様と…中で何してるの…?)
部屋の中から漏れ聞こえてくる艶めかしい会話に、ギクリと足が止まる。
聞いたこともないような信長の甘い声
強引な命令口調なのに、声の響きには色気があって甘く悩ましげだった。
「っ…ぁっ…一度にそんないっぱい…んっ…溢れちゃう…」
「くっ…まだ足りんな。焦らしてないで、もっと寄越せっ…」
「あぁっ…ダメぇ…」
初めて聞く余裕なさげな信長の声と、切なげに訴える女の声。
見てはいけない…そう思いながらも引き返そうという気にもなれず、綾姫は衝動的に入口の障子を引き開けていた。
ースパンッ!
「あれっ…綾姫様?」
呆然と立ち尽くす綾姫の目の前で……
朱里は信長の口元へ菓子を差し出していた。
蜂蜜だろうか…光沢のある黄金色の蜜がたっぷりかかった焼き菓子を前に、信長は子供のような無防備さで、口をあ〜んっと開いていた。
その開いた口はそのままに、チラリと綾姫の方へ目線を流す。
その流し目の色っぽさにドキドキしてしまい、見てはいけないものを見てしまったような後ろめたさを感じてしまう。
(っ…何なのこれ…)