第97章 愛とは奪うもの勿れ
秀吉を始めとする武将達にしてみれば、信長は当然、この縁組を即座に断るだろうと思っていた。
仮に帝から命じられたとしても、朱里だけを寵愛する信長が仮初めにも側室を娶るとは思えなかったからだ。
帝にも公家衆にも、信長が折れることなどあり得ない。
(御館様はお断りになる、それは明々白々だ。だが…それで済むとは考え難い。何せこの姫は……)
九条家の綾姫と聞いて、秀吉にも覚えがあった。
綾姫に直接会ったことはなかったが、上洛のお供をした光秀から仔細は聞いていたからだ。
御館様に色仕掛けで迫り、断られた腹いせに帝に訴えるなんて、なんという姫だと、大層憤ったものだ。
それがまたこんな形で再会?するとは……
(一度は手酷く断られているというのに、そうまでして御館様の側室になりたいのだろうか…この姫は本気で御館様を好きだとでも言うのか…)
御館様は確かに京の女子たちにも人気がある。
美丈夫で地位も権力も望むままの御館様は、男の俺から見ても魅力的だし、朱里を寵愛されるようになるまでは、京での一夜限りの女遊びでも有名だった。
側室でも側女でもいいからお傍に侍りたいと望む女は、京、大坂にも今も数多いるに違いない。
(御館様と朱里…お二人をずっと見てきた俺達からしたら、側室なんてあり得ないって…笑い話になっちまうんだけどな)
それでも、相変わらず御館様へ側室を推挙する声はなくならない。
それは、同盟を求める大名家からだったり、九条家のような公家衆からだったり…政の様々な思惑が絡んでいるものが多かった。
政治的な思惑からの縁組の打診なら、対処は容易い。
縁組以外の利をチラつかせれば、なんとでもなるからだ。
(だが…綾姫が純粋に御館様を好いているとなると、少し厄介だな。人の心は政略のように容易には操れないものだからな。それに…こんな話を聞いたら、朱里はきっと悲しむ…)
大事な妹分が心を痛める姿は見たくなかった。
御館様が朱里を悲しませるような真似はなさらないとは思いながらも、綾姫の、信長を見つめる熱に浮かされたような熱い視線が、これから始まる波乱の幕開けのように感じられて、秀吉はひどく落ち着かなかった。