第97章 愛とは奪うもの勿れ
朝廷からの使者との謁見ゆえ、正室を同席させるよう求める声もあったが、赤子の吉法師の世話もあるし、何より信長自身に朱里をあまり人前に出したくない理由があった。
元々の美しさが、吉法師を産んでから更に磨きがかかったように、近頃の朱里は思わず目を奪われるほどに艶めかしい。
些細な仕草にも艶っぽさが滲み出ていて、家臣どもがチラチラと邪な視線を向けているのが分かり、大人げないとは自覚していながら信長は気が気ではなかったのだ。
(朱里が無自覚なのが余計に悩ましい。口に出して注意を促せばよいのかもしれんが、嫉妬深いと思われるのも癪に障る)
ゆえに、朱里をなるべく男どもの目から遠ざけておくために、正月三が日の謁見も、信長の独断と偏見により最小限しか同席させなかった。
信長の独占欲がこんなところで功を奏し、突如現れた側室候補を朱里が目にすることなく済んだのは助かったが……さて、このままで済むとは思えない。
考えるだけで頭が痛くなる心地がしつつも、信長は父親の隣に黙ったまま座している綾姫をチラリと見遣る。
九条家の綾姫
この姫とはこれが初対面ではない。
朱里以外の女に興味も欲もない信長だが、さすがにこの姫との間にあった一悶着を忘れてはいなかった。
あれはまだ朱里が吉法師を懐妊中だった時だ。
京滞在中の俺の宿所に、父親の命で勝手に乗り込んできた勝気な姫。男も知らぬくせに大胆にも俺の閨に侍ろうとしたゆえ、俺も大人げなく少し乱暴にあしらってやったら、帝に直接抗議され、危うく大事になりかけた。
関白からの取りなしもあり、帝からのお叱りはなかったが、その後九条家からは何を言ってくることもなく、うやむやに終わったままだった。
(手酷く扱ったゆえ、二度と俺の側室になどと望まぬはずだとタカを括っていたのだが…今になって一体どういうつもりだ…?)
信長が探るようにジッと見つめているのが伝わったのか、徐に顔を上げた綾姫と目が合った。
「っ………」
途端に頬を紅潮させ、うっとりと蕩けたように熱っぽい瞳で見つめられた信長は、迂闊にも目を逸らせなかった。
言葉を発するでもなく、ただ信長を見つめるその瞳は、恋焦がれる男を見る女のそれだった。
「御館様…?」
思わず言葉に詰まる信長に、秀吉は心配そうに声をかける。