第97章 愛とは奪うもの勿れ
「いや、摂政の九条家からのお文だったんだが…」
九条家といえば、関白の近衛家とも並び評される名門の家柄だ。
帝から直々の御文ではなかったとはいえ、大事な文には変わりない。
ただ、信長様は、関白近衛前久様とは個人的にもお親しいようで、私もお会いしたことはなくとも色々とお話は聞いていたが、摂政の九条家については、これまでも信長様の口からあまり話題に上ったことはなかった。私も高貴なお家柄ということぐらいしか知らなかったし、信長様が親しくなさっているかどうかも分からなかった。
信長様も以前は官位をお持ちであり、公家衆の集まりにも渋々ながら出席なさっていたそうだが、今は官位は全て返上してしまわれて最低限の礼儀を欠かぬ程度の付き合いに止められている。
『人から授けられる地位になど、何の意味もない。官位などというくだらぬもので俺を縛り付けられると思うなど、甚だ愚かだ』
信長様は信長様、何にも縛られぬ御方なのだ。
「と、とにかくすぐに信長様に見ていただかないと…急ぎの用件だったら大変だよ」
「ああ、すぐにお渡ししてくる。くっ…」
辛そうに顔を顰める秀吉に、朱里はかける言葉が見つからなかった。
人一倍責任感が強く、信長様への忠義に厚い秀吉さんが、信長様宛の大事な文を失念するなんて、きっと今凄く自責の念に駆られてるに違いない。
ちょうど文が届いた日に信長様が不在で、その後も年始の会やら何やら新年の行事が立て込んでいて、秀吉さんも信長様の補佐で忙しかったから仕方がないとは思うのだが……
(信長様がお怒りにならないといいんだけど…九条様から一体何の知らせかしら…)
急ぎの用件などではなく、単なる新年のご挨拶かもしれない。
信長様は、形式的な挨拶は不要と、常々触れ回っておられるが、礼儀作法やしきたりにこだわる公家衆には通じないらしい。
形式的な挨拶の文なら、目を通すのが多少遅れようと信長も気にしないだろうが…もし、急用であったら……
慌てて広間を出て行く秀吉を見送りながら、朱里の胸の内にも次第に不安が広がっていった。