第96章 年越し
「信長様、奥方様、ありがとうございました。結局朝までお引き止めしてしまい、申し訳なかったですが、私どもにとっては例年にない良い年越しになりました。また是非、いらして下さいませ」
支度をして社殿を出る私達を、村の人達は外まで見送りに出てくれた。
一晩語り明かした村人達とはすっかり打ち解けていて、皆、名残惜しげに声をかけてくれた。
外はまだ夜明け前で薄暗かったが、日の出が近いのだろう、東の空が次第に白み始めていた。
朝は特に冷え込みが厳しいようで、悴んだ指先にぴりぴりと刺すような痛みが走る。
少しでも暖まろうと、指先を摩りながら、はぁっと息を吹きかけると、息が白く煙る。
「朝はさすがに冷えるな」
馬上で鬼葦毛の手綱を操りながら、包み込むようにして朱里の手を取ると、その華奢な手は氷のように冷たかった。
神社を出てすぐは暖かかった身体も、あっという間に冷えてしまったようだった。
信長は自身のぬくもりを分け与えるように朱里を強く抱き寄せて、その腕の中に包み込んだ。
「随分と冷たくなっているな。これは城に戻ったら、すぐ暖まらねば風邪を引くぞ。俺がしっかり暖めてやる…褥でな』
「ふふ…ダメですよ、信長様。お城へ戻ったら、すぐにお支度なさらないと…年始の会が始まっちゃいますよ」
「構わん。元日の朝は譜代の家臣どもが挨拶に来るだけだ。多少待たせても問題ない。貴様の冷えた身体を暖めるのが先だ」
「もぅ…そんなのダメです…んっ…やっ…」
朱里の首筋に鼻先を埋め、すりすりと擦り寄せる。愛しい女の香りを確かめるように、艶やかな黒髪に口付け、すうっと息を吸うと、朱里はピクっと身体を身動がせた。
「やっ…いゃ…息っ、吸っちゃ…やぁ…」
「んー?」
「っ…は、離して、信長様っ…」
「くくっ…何を今更…こら、暴れるな。落ちても知らんぞ」
「だ、だって…」
(っ…そんなに近くで、匂い、嗅がないで欲しいっ!うぅ…昨日は湯浴みできなかったから髪も洗えてないのにっ。あぁ…臭かったらどうしよう…)
冬場とはいえ、馬に乗って汗も掻いたし、埃っぽくもなった。
信長様は全然気にしていないみたいだが、女の私は大いに気になるのだ。
(あぁ!髪に口付けないでっ…うぅ、ベタついてないかな…匂いも気になる…)
腕の中で、何かに堪えるように身悶える朱里を、信長は面白そうに覗き込む。